月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「電通辞めて三年たった予後観察(個人的メモ)」

僕は二〇一五年六月にそれまで十四年勤めた電通を辞めたので、もうすぐ三年になる。
この『月刊ショータ』では、「幸せに生きるための10のこと」みたいな、読んですぐ効いたような気がするコラムは書かないことにしているのだけど、今回は「本当のことを書く」という原則は守りつつ、「会社を辞めてわかったこと」を書こうと思う。

※とっても個人的な話です。すぐに効くどころか、およそ人の役に立つとは思えませんので、ご了承ください。

いいことしか書きません。悪いことの方は、だいたい誰でも想像される通りです。僕は退職してすぐにカナダに行ってカウボーイをしていたので(拙著『カウボーイ・サマー』ご参照)、失業保険を受け取っていません。冬のある日に、「トラックドライバー募集」の案内を真剣に読み込んだこともあります。

しかしながら前提として、僕は会社がイヤでイヤで辞めたわけではありません。

 

■怒らなくなった

この三年間で怒ったことなど、猫の寅次郎を何度かブチのめしたくらいで、こちらもそれ以上に傷だらけになった。最近では寅と話せるようになったので、流血事案も少ない。

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一部読者には有名な寅の痴態w

人間に対してはおよそ腹を立てなくなった。
うちの主人(妻)によると、会社員時代の一時期は、帰宅してもイライラしていたり、常に腹を立てているようなことがあったようだ。広告の仕事というのは、本当にしょーもない人にしょーもないことを言われ続ける仕事なので、よほど心の広い、寛容な、そして、打たれ強い人にしか勤まらない。もしくは、意地の悪い書き方をすれば、仕事は仕事、と割り切れて、心底では大した興味がない人。

なんで怒らなくなったのかと、自分なりに考えてみると、圧倒的になにかをガマンしなくてはならない状況が減ったのではないかと思う。日本の人は明らかにガマンをしすぎ。その象徴が男性サラリーマンのスーツで、どうしてなにか公式な日でもなく、猛暑のアジアの国でスーツを着続けなくてはいけないのか、誰も疑わない。疑っても、お上が「クールビズ」と名前を付けて免罪符を発行するまで動かない。
それでいてカッコつける目的の服であるスーツが日常化することで、ぜんぜんカッコよくない着こなしを独特の発展のさせ方をしてしまう。

あ、他人事なのに腹立ってきた。

僕は会いたくない人に会いに行くことはないし、飲みたくない酒を飲むこともない。
ストレスというのは、仕事そのものから発生するのではなく、ほとんどの場合、人間関係が原因なのだそうだ。仕事だからガマンして、嫌な人間と顔を突き合わせなくてはならないから毎日がイヤになってしまうのだ。
個人的には、電通の人も、クライアントの人も、そんなに嫌な人間ばかりだったわけではなくて、僕は実に恵まれていたと思っている。それでも、ガマンは充分してきたつもりなので、しんどい業界であったことは確かだ。

 

■友人が増えた

今さらやっとわかってきたのだが、電通の頃の僕は、周りの人たちからは「電通の前田将多さん」としか思われてなかったのだろうなーと思う。いくらこちらがそんなつもりはなくて、誰とでも人として付き合っているつもりでも、あちらは「電通の」という枕詞なしには自分を見てくれはしないようだ。
もちろん当時はそれでいいことの方が多かったように思うのだが、友人は辞めてからの方が増えた。友人は多けりゃいいってものではないし、積極的に増やすつもりもないけれど、おもしろい人が僕をおもしろそうと思ってくれて、どこかで出会う。

そして、前述の通り、僕は嫌な人間とは無理に付き合わないので、いい友人ばかり何人もできた。単純に、彼らと会う時間ができたというのもある。
電通の人と飲みに行こうと思ったら、大統領に面会を願うような「今月はこの日しかない」みたいなことがザラにある。

 

■よく眠れるようになった

僕は不眠の傾向があり、ベッドに入ってから30分以内に眠れるようなことはまずなかった。なかなか眠れなくて、睡眠について自分なりに編み出した方式があって、「眠くならない時は、眠れなくても翌日に大した影響はない」「5時間眠るくらいなら、4時間の方がスッキリ起きられる」「夜眠れなくなるから、昼寝はしてはいけない」とか、いろいろ自分に言い聞かせるようにしていたのだが、今はすぐに眠れる。たとえ昼寝をいつ何時間しても、夜すぐに眠れる。

……こんな個人的な事情を書いても、人の役には立たないけど、まぁこれくらい不健康から解放された幸せな人間だと思ってほしい。いったいなんちゅう生活をしていたのかと、我ながら憐れに思うこともある。

あの頃を思い出すと、ベトナム帰還兵の気持ちが少しわかるような気がすることがある。もちろん僕は五体満足なのだが、精神のどこかを欠損したような感覚だ。

 

■本番を生きている

広告の仕事というのは、ヨソ様の会社や製品をいかにプロモートするかということに思索を巡らす。僕にはこれがどうにも練習試合のように感じられることがあった。
どんなにいい施策を実施することができても、もしくは失策をやらかしたとしても、最も影響を被るのはそのヨソ様であって、僕たちではない。もちろん会社が広告の扱いを失うのは痛手だが、キレイごとを言わせてもらうなら、クライアントに被害を及ぼしてしまうよりはマシなことだ。

だから、究極的には他人のために時間を使い、体力を費やし、知力を振り絞っている。
「これ一生やってていいの?」
と、時折思うのであった。
現在も広告業界にて懸命に働いている友人たちには失礼な話で申し訳ないが、これは個人の仕事観とか人生観にかかわることなので容赦願いたい。

練習試合でたくさんの経験を積んで、やがては自分の本番をしたいと、僕は思った。

電通でどんな失敗をしても、規則や法律に触れない限りクビになることはない。
ひどいトラブルを起こしてしまったとしても、給料は毎月保証されている。
会社がつぶれることは、当面の間はない。

 ただ、おもしろくない。

脈拍数が低い人間は、本能的にそれを上昇させようとするためスリルを好むそうだ。僕は確かに脈拍が少ないのだが、ギャンブル自体にはそれほど興味はない。だけど、電通辞めてカウボーイするとか、ちょっとおかしいところがあるのかもしれない。
自分の本番と言っても、何千億円も稼ごうとか、世界に支社をつくろうとかは視野にない。僕が立ち上げたスナワチ社は、ただスモールビジネスがスモールサイズのまま、目の届く範囲によろこびを提供していけるのかどうか、試したいだけだ。夢など小さい。だけど深いつもりだ。

いいことしか書きません、とはじめに書いたので、悪い側面は挙げないけど、それは数え出したらキリがない。こんな不安定な暮らしはないと思う。
だけど、怒らなくなって、いい友人が増えて、よく眠れて、ドキドキできたら、これ以上なにを求めよう。まずまず幸せなのではないかと、いつもいつもではないけど、思うのである。

こんな話でよければ、もっと聞きたい方がいらしたらスナワチへお越しください。
コーヒー淹れますよ。
スナワチ大阪ストア
大阪市西区阿波座1丁目2-2

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