月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

人は「好き」でできている

先月、頼まれて講演をしたので、そこでお話ししたことを編集してお伝えしようと思う。

依頼は兵庫県立図書館からで、読書推進事業の一環として、若い人たちにもっと本を読んでもらおうというのがテーマであった。

今さら言うまでもなく出版業界というのは大変つらい状況にあって、以前は「雑誌が売れて書籍を支えている」と言われていたが、今や雑誌も、漫画すらも売れていない。出版市場はピークであった約二十年前の半分近い落ち込みだ。
それなのに出版社一社の出版点数は増えていて、つまり乱暴にいうと粗製乱造なのである。

出版不況より深刻 漫画単行本、売り上げ激減 市場規模はピークから半減 - 産経ニュース

そんな中、大人たちが「子供や若い世代に本を読んでもらいたい」と言ったからって、大人自身が読んでいないのに虫がよすぎるというものだ。

各メディアの一般的な特徴を挙げると:
テレビは音と映像が出るから影響力が大きい。
ラジオは発信者と受信者の親密度がもっとも高い。
新聞は情報の信頼度が高い。
雑誌は専門性が高く、保存がしやすい。
書籍は「期待値」がもっとも高い。
と、このように言われてきたのだが、インターネットが発達し、SNSが登場するともはや影響力、親密度、専門性などについてはトラディショナルメディアをすっかり凌駕してしまった。信頼性については玉石混交なのは言うまでもないが、テレビや新聞が扱わない「ホントの話」もネットで暴露されることも多いから、使い手のリテラシーによっては有用である。
ウェブの記事は書き手と編集者がノウハウを蓄積して、いかに引き込むか、クリックさせるか、一気に読ませるかというテクニックがふんだんに取り入れられて、書籍のようにどうしたって一ページ一ページめくらざるをえない、面倒くさい、時間もかかる、おカネもかかるものは、そりゃ勝ち目はない。

「期待値」を説明すると、お金を払って買ったものだから、当然おもしろくあってほしい、役に立ってほしい、知らないことを教えてほしいという期待度がハナから高いのだ。しかも映画のように眺めていれば進んでいくものではなく、自分の読解力を使って読み進めなければならない。
それはすなわち、「おもしろくないものは読み切れない」のである。

それにもかかわらず、先述のように出版社はとりあえず明日のメシのために粗製乱造だから、状況はますます重苦しいものになる。

本当は、「本を読むのは楽しいから」と、声を大にして言いたい。若い人が想像力と感受性を伸びやかに育むのに、本はうってつけなのだ。
それを言い換えると、「おもしろい人間になれるから」であると思う。僕の知っているおもしろい人というのは、皆よく本を読んできている。おもしろいというのは、人を笑わせる能力のほかに、ハッと気づかせてくれるとか、ウーンとうならせてくれるとか、刺激を与えてくれることだ。「面白い」の語源は、「目の前がパッと明るくなる」ことだそうだ。明るくなることを、白くなると昔の人は表現したのだが、そういう気質を持った人たちのこと。
あなたの周りのおもしろい人のことを思い浮かべてみてほしい。どうだろう?

そして、そういうおもしろい人がいる、楽しいところに人は集まる。そういう人に、自分は今さらなれないとしても、自分の子供や将来のある人たちにはなってほしいと願うのは当然のことだと思う。

「人生は『好き』を登る山」のことである。実はこれが、僕がつけた講演のタイトルだったのだが、副題を「本は最高のガイドです」とした。

「好き!」という衝動を大切にして、それを探求していくことによって、いろんな出会いがあったり、発見があったり、道を選択する際の理由になったりする。そして、その探求には終わりがない。

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好きを追求することにはオマケもあって、何事も自分の好きなことを通じて学ぶと、勉強とか訓練とか苦しそうなイメージを持つことなく進めることができる。
たとえば英語。これを身につけたいなら、自分の好きなことを通じて覚えるのが一番よいと思う。釣り好きなら、アメリカの釣り雑誌を読むといい。知らない単語も、釣りのことなら想像ができるかもしれないし、辞書で調べるのも「知りたい」という気持ちがそれを苦にさせない。
そして、雑誌やウェブサイトで知った場所に、いつか私もこういう川で、湖で、釣りをしに行きたいと思えれば、この先の楽しみがまたひとつ増えるではないか。実際にそれを叶える時には、航空券の手配も、釣り免許の取得も(アメリカの場合、免許がいる)、レンタカーでのルート調べも、英語をものともせずグイグイできてしまうものだ。

好きなことを、もっと知って、もっと好きになるのに本は欠かせないと思う。一冊一冊、専門家が書いたものだからだ。小説だって、その世界を書こうと思ったら、(本を読んで)調べに調べて専門家に近くならないと書けないだろう。そして、ありとあらゆることが本になって世に出ている。

僕も、自分が好きな、山歩きの本、旅の本、革の本、アメリカの歴史の本などはたくさん読んできた。何年も前に本で知ったジョン・ミューア・トレイルを、昨年ついに歩いてきた。
monthly-shota.hatenablog.com

僕が『カウボーイ・サマー』という本を書いたのは、カウボーイについて知ることができる日本語の本があまりにも少なかったからだ。
会社での仕事まで辞めて、本に人生を狂わされたと言ってしまえばそれまでだけど、書いてよかったと思う。だって、これから何年でも、カウボーイに興味を持った人はこれを読むことになるのだから。若い人たちに大きな世界を覗いてもらう手伝いができるのなら、子供を持たない僕にとって大変光栄なことだ。

結論めいたことを言うと、子供に本を読ませたいなら、彼や彼女が好きなものに関する本をそっと身近なところに置いておくことではないだろうか。
「読みなさい」とは一言も告げずに、手の届くところに用意しておけば自ら読み始める。そういうものだと思う。

ここで重要なのは、自分が彼らに読ませたいものではなくて、彼らが読みたいであろうものを差し出してあげることだ。夏休みの宿題としての読書感想文もそうだが、オトナが読ませたい名作だとか古典文学なんかは、子供には退屈でガマンできないものだ。わざわざ本を嫌いにさせるような行為だ。

また、大人が夢中で本を読む姿を、子供たちに見せてあげてほしい。
「なにがそんなに楽しそうなんだろう」と、思わせてあげてほしい。

僕の父親は、夜になると早々に寝室に引っ込んでいたので、「寝るの早いなぁ」と思っていたのだが、実はベッドで本を読んでいたようだ。亡くなって十年以上がたつが、書斎には膨大な量の本が遺されている。僕は実家に帰るとたまに、そこから難解すぎずにおもしろそうなものをピックアップしてもらって帰る。

去年は『トランプ自伝』(早川書房)という本を拝借した。父親が一九八八年に初版を買っていたものだ。
アメリカの現大統領であるドナルド・トランプ氏は、当時四十二才で資産が四〇〇〇億円分あって、若い時はハンサムだったからアメリカンドリームの体現者で、スーパースターだったようだ。巻末の訳者あとがきに、驚きの言葉があった。
「美しい妻イヴァナは言う。『あと十年たってもドナルドはまだ五十一才です。(中略)大統領選に出馬することもないとは言い切れません』」
三十年たって、本当にそうなっちまったんだ。

この本はちくま文庫から復刻されているから、興味のある方は読んでみてください。彼がニューヨークという街に自分の理想を持って、再開発という複雑な交渉と巨額の投資がからむ仕事にどう取り組んできたのかわかる。

本を読んでいると、こういうおもしろい体験もある。
これは僕がアメリカが好きだから、やはりアメリカ好きであった父を通じて出合ったおもしろさである。

恋愛を例に出すまでもなく、好きなことというのはどうしようもない。好きなものは好きで、本を読んでそれをもっと好きになって、大好きになると、いいことがいっぱい待っている。恋愛のように相手はいないから、自分でそれをどこまで好きになっても拒絶されることもないだろう(合法な限りにおいて♡)。

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そうして、「好き」を通じて自分独自の世界を持つことこそが、幸せに生きる方法なのではないだろうか。
明日、ご自分が好きなことを思いながら、本屋さんを訪ねてもらいたいと思う。

あなたにとっての、大切な一冊が見つかりますように……。

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