月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

畳と茣蓙と科学的屁理屈

(前回からの続き)ようやく婚約を果たしたユウちゃんの話を聞きながら、浮かない表情の二人がいた。共に独身のアキちゃん(仮名)と滝下(仮名)である。

  • 「どうしたら、そういうことになれるのでしょう……」

人間関係という深遠なものに対する完全な対処法はないけれど、ある程度までは科学の力で補助することは可能であろう。

僕は家に帰ってから、二十年近くも前に米国の大学で使っていた社会学の本を引っぱり出してきた。

教科書のタイトルは、『日常生活の社会学(Sociology in Everyday Life)』という。

 索引を見ながら探すと、あった。

そこには「恋愛の発展へのホイール理論」というものが掲載されている。

ホイールというのは車輪のことで、つまりサイクルのことだが、そこは重要ではないので、四つの段階として説明する。

  • ①Rapport [一致:「いいな」「気が合うな」と思うこと]
  • ②Self-revelation [自己開示:自分について曝すこと]
  • ③Mutual dependency [相互依存:お互いを頼ること]
  • ④Personality need fulfillment [人としてのニーズを満たしてくれること]

 ①は一瞬で決まる。メラヴィアンの法則と言って、人の第一印象は三~五秒の間の一瞬で決まってしまうらしい。確かに、僕は一目惚れ以外はしたことがない。

もう少し猶予を与えるなら、出会ってすぐの表層的な会話によって、「この人、合う」、「合わない」は早い段階で見極められてしまうのだ。

しかも、これは教科書に書いてあることだから本当なのだが、男は女の見た目に重点を置き、性格の判断もそれに引っぱられる。美人に対しては、「性格も良さそうだ」、「これだけ美しい人なら心も美しいはずだ」と勝手にいいように解釈する。

 瞬殺で決まってしまう出会いに関して、あまり言えることはないのだが、ひとつだけ申し上げるなら、「よく見るとブスな一見美人」も「よく見るとかわいいところもある一見ブス」もこの世には無数にいて、これがいないと人類などとっくに滅びている。だから、一見ブスの皆さまにおかれましても、人類の希望を背負ってがんばってほしい。

 さて、③④は本論から外れるので割愛することは先に断っておく。関係ができてからは私の知ったことではない。お互いに依存しようが、ニーズに応えようが応えまいが、私の与り知らぬことなので、勝手にくんずほぐれつ、上になったり下になったりしたらいいのだ。

 ②の自己開示が最も重要である。

要するに「自分が何者で」、「何をしてきて」、「何が好きで、何が嫌いか」を表明しなくては話は進まないということだ。

出会ってすぐの表層的な会話、「どこに住んでるの?」とか「好きな音楽は?」とかいう質問は、相手に自己開示させる手段に他ならない。

だから、飲みに行った先で女性が同席していても、すぐに気配を消してしまう後輩の滝下(仮名)など言語道断なのだ。

かと言って、自分のことばかり喋り続けても、「この人はオノレにしか興味がない人間だ」という情報を与えるだけなので注意が必要だ。

訊かれた質問には真っ直ぐ答えることだ。

勤め先を訊かれて、「ええっ……」などと口ごもる相手は、それにより「あぁ、この人は私とこれ以上関係を深めるつもりは一切ないのだ」というメッセージとして受け取られる。

そして、自己開示には「私はあなたに興味がある」という事実を伝えることも含まれる。これは言語・非言語の伝達があるが、前者はいきなりは難しい。

非言語でもって、すなわち態度や行動で、それを伝える必要がある。

「これが僕の連絡先です」とメモでも渡せば、それで「私はあなたと今後も連絡が取りたい」、「また会いたい」という情報の開示・意思の表明になるだろう。

連絡先を訊く・貰うことが恥ずかしければ、渡せばいいのだ。その方がずっと簡単だ。

 恋愛は市場の法則により動いている。つまり、取り引きだ。何を渡して、何をもらうか。だから、渡さない人は、もらえない。

 ひとつ註釈を挿入すると、結婚してのちのことは市場ではない。

僕の個人的見方だが、「相手に何も求めない。期待しない」という態度が肝要である。

  • 「給料はこれくらい家に入れてほしい」
  • 「掃除洗濯をしてほしい」
  • 「今晩あたり抱いてほしい」

こういった期待をするから裏切られた時に腹が立つ。依頼はしても期待はしない。これに尽きる。

 「人間の間違いってのは、常に期待をして待つことじゃないかな」

これは、宮本輝が書いた言葉だ(『花の降る午後』)。

 さて、ここまでは大体、科学の話であった。

大してモテてこなかった私のような人間が、さも自分の経験的知識の蓄積であるかのようにエラソーに書いてきた。

違うんだ。教科書に書いてあっただけなのだ。

科学的なトレーニングさえすれば、誰でもイチローのようにヒットが量産できるかと言えばそんなわけはないので、科学的知識を踏まえた上で、あとは個人の力量・練度が問われる。

 松井秀喜氏だって、ジャイアンツ選手寮の畳が擦り切れるくらい素振りをしたというではないか(画像はsanspo.comより)。

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 畳といえば、先日友人がこんなことを言った。

  • 「この前ええ言葉聞いてん。『三〇サセごろ、四〇シごろ』なんやて」
  • 「ほぉ」
  • 「女は、三〇はさせてくれーと言われるが、四〇はしてくれーと自分から言うくらいしたいんやて」
  • 「なるほど」
  • 「で、次にな、『五〇茣蓙むしり』と続くんや。ゴザを掻き毟るほどという表現がええな」

彼はぐへへへと笑った。

 まさか「してくれー」と自分では言いにくいだろうが、これも非言語の伝達方法があるはずだ。各個人で研鑽を積んでいただきたい。ヒントはたくさんお教えしたぞ。

あとは「ルールブック」を再読してほしい。

なんなら、こちらも合わせて読まれたし:

2007年12月号「まだ見ぬ娘への十箇条(続き)

 

アメリカの大学で学んだことが、「どうしたらいいのか……」というアキちゃん(仮名)の役に立ったら光栄である。それとも、毎度のように屁理屈だっただろうか。

「えー、『とにかく彼氏ほしい!』とかけまして、アメリカの大学と解く」

「その心は?」

「簡単に入れます」

「ヤマダくん、彼女にゴザ一枚」