月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

拙著の「はじめに」を転載します

拙著『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』が刊行され、おかげさまでまずまずの評価をいただいています。

売上ランキングのどこで1位とか、それはひとまず措いて、読んでくださった人が
「一気読みでした」
「せつない気持ちになって、ちょっと泣きそうになります」
「デザイナーは是非読んでほしい~! 読みやすく、面白く、楽しんで読めました」
広告業界と言わず幅広く若手の人に読んでもらいたい内容」
「ぶつける先のない怒り、仲間が疲弊していくのをどうすることもできない無力感。それを代弁して頂いた気がする」
「うんうん頷いたり、笑ったり、戦慄したりしながら読みました。粋でカッコよく、優しくて気持ちのいい本」
「人情味のあるじーんとくる内容」
「日本中の津々浦々まで届けたい」
「あらゆる産業で膝を打つ読者が多いと思う」
(以上はツイッターより)などなどのありがたい言葉を贈ってくださったのをうれしく思っております。

 

書いたからには読んでいただかないことには、何もしなかったのと同じですので、ここに「はじめに」の項を公開しておきます。

--------- はじめに ---------

私は二〇〇一年から十五年弱の間、電通に在籍して働いていた。主にコピーライターとして業務にあたっていたが、広告の文面を考案したり、テレビCMを企画するのみでなく、街頭イベントの企画、懸賞キャンペーンの企画運営、海外展示会ブースのプロデュースなど様々な仕事に取り組んだ。電車の発車メロディーの制作もした。

世間に誇れるような仕事は残していないのだけれど、電通社員では唯一「コラムニスト」という肩書を名刺に載せていて、どこの雑誌でも新聞でもなく、「月刊ショータ」という自分のウェブサイトに二〇〇三年から月イチでしょーもないコラムを書いていた。公私混同の肩書を許すとは、寛容な会社であった。

やがて、私が四〇才を目前に退職したのち、新入社員の自殺が労災認定されて以降、長時間労働の問題がメディアによって照らし出された。二〇一六年一〇月に私が書いたコラム「広告業界という無法地帯へ」が異様な反響を見せた。

私が入社する十年前にもあった若手社員の自殺も含め、電通の企業としての体質が問題視される中、私がそのコラムを書いた理由は、「広告業界外の人が、いかに問題の大局を見ることができないでいるか」ということに歯痒さを感じたからである。

少しでも電通に肩入れをするような文言を書けば、「電通擁護!」、「こいつは電通からカネをもらっているに違いない!」、「世論操作のための回し者!」などとあらぬことを言われる現代のネット社会において、少々の勇気がいるコラムではあったのだが、報道の着眼点と電通の会社としての対応の双方に目に余る部分があったので公開した。結果、電通及び電通以外の広告関係者、その他の業界で働く人たちから概ね賛意が寄せられ、胸を撫で下ろす思いであった。

この本は一本のコラムだけでは語り切れない、電通という巨大企業の現場と、広告業界の歪なところを、二十三本のコラムとして書き綴ったものである。一部は「月刊ショータ」に書いた過去のコラムを加筆修正したものである。

第一章では、普段は表に登場することが少ないため、世間からはおそらくミステリアスに思われているであろう、電通という企業について書いた。

第二章は、広告業界の内側で今日も巻き起こっている、バカバカしい実態を描写する。第三章は、広告業界とそれ以外のビジネス社会にも共通する、どこかピントを外した日本人の働き方について指摘してみた。第四章は、働く人に少しは役に立つことを書きたいと思ったので、ご参考までにどうぞ……。

所謂「暴露本」を期待される読者の方には、購入をおすすめしない。

電通一社を叩いて何かが解決する、改善されるならそうしよう。しかし、現実はそうではない。電通を始めとした日本中の広告会社、クライアント企業、制作会社など、全ての関係者が、一度立ち止まって己を顧みる時だと思う。

そして、もちろん、この問題がここまで大きな関心を得たのは、電通という見えてこない巨躯、自殺した彼女の華やかな経歴と美貌以外にも、日本社会で働く誰もが突き付けられる課題を孕んでいたからであろう。

私に対する「こいつ、どんだけ電通に洗脳されているんだw」という批判をネットで目にして、私は鼻で笑った後にふと、「多少そうかも」と自身を振り返ることがあった。若い時に初めて入社した会社で教育され、その世界しか経験しないと、確かに染まっていってしまう部分はあったと思う。

そんな自省も込めて、広告業界を一歩離れた場所から眺めてみたのが本書である。

私は、「元電通」であることを売りにしながら、古巣に後ろ足で砂をかけるような者にはなりたくないと願っている。電通には恩もあれば、感謝の気持ちもある。それがあるからこそ、鈍らな刃も向けたいと思う。

広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』というタイトルは、この社会が異常性を帯びていることに気が付き始めた皆さんに向けて、私自身が付けたものだ。

笑覧いただき、一度立ち止まる機会になれば、著者として幸いである。

 

以上です。

笑えて泣けて、生きていこうと思えるコラム集です。お一人でも多くの「ダイジョーブじゃないかも」と思っている方の手に取られるといいです。

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前田将多著『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』(毎日新聞出版

https://www.amazon.co.jp/dp/4620324396

「小さな本屋さんと僕と電通のかかわり」

電通関西支社には昔から出入りされている書店がある。まや書店という。

店舗は大阪は淀屋橋三井物産ビルの地下にあって、僕はそこにも行ったことあるのだけど、五人も入ったら一杯なくらい小さな本屋さんだ。

主人のおじいちゃんがいつも痩せた体で、雑誌や書籍を腕一杯に抱えて、電通社内の購入者に渡して回っていた。僕は定期購読したい雑誌やほしい本があると、まや書店にFAXして、その都度届けてもらっていた。

驚くほどいい加減なシステムで、注文した本をおじいちゃんがデスクに置いてくれて、僕が打合せや出先から席に戻ると、本と請求書がある。で、どうやって支払うかというと、「次に偶然会った時に払う」のだ。だから、全然出会わなくて、ツケをため込んでる人もいる。

おじいちゃんは、とてもいい笑顔をする人で、彼を面白がったクリエーティブ局員がいくつかのCMに出演させたりもした。画面で見ても、おじいちゃんはいい笑顔をしていた。

そのおじいちゃんが何年か前に亡くなった。本屋さんが亡くなっても社内のイントラシステムで訃報の掲示があるわけではないから、僕はそれを噂で耳にしたのであった。

僕は電通社内の、田中泰延さんはじめ、その時の局長とか本読みであろう何人かに声をかけて、連名で書店に弔花を贈った。

「お世話になったまや書店は今後どうなってしまうんだろう……」と思っていたら、その後若い人(といっても、僕より年上)が同じように本を腕一杯に抱えている姿を社内でお見かけするようになった。お話ししてみたら、あのおじいちゃんの息子さんだという。

この本が売れないご時世に、小さな書店を継ぐという意味がわかるだろうか。街を見渡せば、小さな本屋はつぶれて、大手のいくつかだけが辛うじて残っている惨憺たる状況だ。

息子さんは、その後もまや書店と付き合いを続けた僕の電通退職時に、五千円分の図書カードをくださった。五千円だ。一人の男が、雑誌を八冊だか十冊だか売り歩いて五千円を得る苦労は僕にはわからない。小さな本屋さんの一日の売上を知る由もないけど、それが小さな額でないことはわかる。

僕はありがたく頂戴して、街を歩いていてなにかほしい本に出合って、その値段が高くてちょっと躊躇した際に、図書カードを大切に使わせてもらった。

 

やがて、月日は巡り、僕が本を出すことになった。

僕は久し振りにまや書店さんに電話をした。彼は僕のことを覚えていてくださった。

「まや書店さん、僕はご恩を忘れてはいません。僕の本で、少しでも儲けてくださいませんか。つきましては、電通社内でチラシを撒いて、一冊でも多く、この本を売ってください。

僕は今、sunawachi.comというレザー製品を扱う会社をやっていますから、取引先である東大阪のブランドにお願いして、レザーのオリジナルブックマーク(しおり)を用意します。まや書店で買ってくれた人には、ノベルティとして付けてくださいよ」

彼は喜んでくれて、通常ありえない冊数を仕入れたようだ。

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僕としては、そりゃ本は売れてほしいし、本当のことを言えば紀伊国屋とかアマゾンで売れて、なんかのランキングにでも入ったら、販売促進的には効果的なのかもしれない。なんでこう、儲からない方儲からない方へ自ら行ってしまうのか、自分でもアホなんだと思う。

しかし、一方で、無名の僕が書いた本なんて、内容は絶対に面白い自信はあるけど、それだけで簡単に売れるはずなんかないから、せめてまや書店さんがちょっといい思いしてくれたらうれしいじゃないか。

 

そして、本の発売があと三日に迫り、僕はまや書店さんに再び電話をした。

「どうですか?」

「それが……」

彼はちょっと言いにくそうにした。

なんと、チラシはだいぶ配ったにもかかわらず、電通関西支社から予約は一件も来ていないのだという。

おいおい、元の同僚たちよ。先輩後輩、上司たちよ。僕が悪いんだけど、毎月給料が入ってくる生活を諦めて、何事かしようとして、果たして出版社に出してもらうに至った元同僚の本の一冊すら買ってくれないほど、あなた方は忙しいのか。

百歩譲って、元電通社員が電通について書いた本に関して、穿った目で見ることも可能だろう。しかし、文句は読んでから言ってくれ。かなりイケナイ内容も書いたけど、僕は広告業界へのエールを込めたつもりだし、業種にかかわらず組織で働く人、職場で悩む人の何かしらに少しでも役に立てるものを書いたつもりだぞ。

僕は元同僚たちの何人かに連絡をして、恥を忍んで申し上げた。

「営業するようですみません。でも、もし買ってくれるなら、まや書店に注文してくれませんか。電話番号は06-4706-8248です」

結果、心ある何人かが電話をしてくれたようだ。

そのうちの一人の後輩が、

「まや書店さんがうれしそうに、『前田さんのしおりが』『しおりが』って何度も説明してくれましたよ」

と教えてくれた。

とはいえ、このコラムを読んだ、まや書店や電通に無関係の方がわざわざ、そこで買ってくれなくていい。電通のそばのジュンク堂で買ってください。梅田駅の紀伊国屋で買ってください。スタンダードブックストアで買ってください(SBS心斎橋でもブックマークはもらえます。数量限定)。彼らも多めに仕入れてくれているから。近所の本屋でも(たぶん取り寄せになるけど)アマゾンだってもちろん構わない。買えるところで買ってくだされば、著者の僕が購入場所を指定するなんておこがましい。大作家じゃあるまいし、そこまで口出す身分ではないから。

……てな、すったもんだの末、3月2日にとにかく発売です。

広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』(毎日新聞出版

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とりあえず、hontoのリンクを貼っておきます。

honto.jp

自分はダイジョーブじゃないかも、と思っている人たちへ。

なにもできませんが、笑えて泣けて、生きていこうと思える本を書きました。笑覧ください。

「トランプ大統領就任演説に見るアメリカ人の限界」

ドナルド・トランプ新大統領の就任演説で、何をどのように言っているのか、全文を読んでみた。

www.huffingtonpost.jp

www.newsweekjapan.jp

演説における言葉遣いや品位を問う声もあったが、まぁ、なんと言うか、間違ったことは言っていないかもしれないが方法がアレな、アパホテルの社長が日本の首相になったようなものだし、ここはジャイアンが空き地で演説をかましている場面に脳内変換すると、多少のことは許せるはずだと思う。

ジャイアンはまず、列席者への謝辞を述べたあとに、オバマ前大統領とミシェル夫人に大統領職の引き継ぎが整然と平和的に行なわれたことに対して感謝を述べている。

“They have been magnificent. Thank you.”

のび太、すげーいいやつ。あんがとな!〉

確かにのび太は、いや、オバマ氏は、実行力には甘さが出たが、「崇高で、見事な」大統領であったと歴史に残ると思う。

 

“Today’s ceremony, however, has very special meaning, because today we are not merely transferring power from one administration to another, or from one party to another, but we’re transferring power from Washington D.C., and giving it back to you, the people.”

「このセレモニーは特別な意味がある。なぜなら、単なるひとつの政権からもうひとつへの、ひとつの党からつぎの党への移行ではなく、ワシントンDCからあなた方民衆への権力の移管であるからだ」

外国人である我々からすれば、これまで米国の、というか世界の権力や富を掌握してきたのは、ワシントンDCの政治家や政府関係者というよりも、トランプ氏のお膝元であるニューヨーク、特に金融街の連中のような印象があるのだが、このあたりには感覚の差異があるのだろうか。

彼は選挙演説の時さながらに、民衆を持ち上げる。

“This is your day. This is your celebration, and this, the United States of America, is your country.”

〈今日はあなた方の日だ。この祝福はあなた方のためだ。そして、この、アメリカ合衆国はあなた方の国だ〉

 

そして、自らが分断してしまった国に向けて、統一を呼びかけるのだが、やはり敵は外に求める。

“For many decades, we’ve enriched foreign industry at the expense of American industry, subsidized the armies of other countries, while allowing for the very sad depletion of our military.”

〈何十年にも間、我々はアメリカの出費によって他国の産業を富ませ、他国の軍隊に助成を与え、その間、自国軍には嘆かわしい消耗を許してきた〉

この辺りに現状認識と歴史観の雑さがあるように思う。外国企業を富ませてきたのは、主に発注主であるアメリカのグローバル企業の経営陣と消費者という名の「民衆」の共犯である。

アメリカはこれまで他国に軍事介入もしてきた。日米の戦争だって、直接的な侵略や併呑の危機的な関係にあったわけでもないのに、なぜ殺し合うことになったのか、両国の若い人たちなんかはよーく考えてみたら茫然とするのではないか。とはいえ、オバマ政権への批判はその外交的弱腰にあったので、軍の消耗については一理くらいはあるかもしれない。が、湾岸戦争あたりから戦争の理由をまともに答えられないような戦闘を繰り返させてきたのはオバマ以前の共和党政権だから、前政権だけに責任を負わせるのはフェアではない。

 

“We must protect our boarders from the ravages of other countries making our products, stealing our companies and destroying our jobs.”

〈我々は、我々の製品を作り、会社を盗み、仕事をなくす他国による破壊から、国境を守らなくてはならない〉

アメリカさんにそのまんま返すわ。町の喫茶店はスタバに、商店街はアマゾンに、定食屋はマクドKFCになったじゃないか。アメリカナイゼイションという社会学の教科書にも載っている現象は、今日や昨日始まったことではないだろうに。

ただし、アメリカ人になったつもりで読むと、もしくはアメリカを日本に置き換えて読むとある種の羨望は感じる。

“We will seek friendship and goodwill with the nations of the world, but we do so with the understanding that it is the right of all nations to put their own interests first.”

〈我々は世界中の国々に友好と親善を求めるだろう。しかし、全ての国は自国の利益を最優先にする権利があるという了解の上で、それを行なう〉

そりゃそうだろう。企業だってそうだ。おそらく交渉の達人と言われるトランプ大統領には釈迦に説法になってしまうが、我が国のそんな当たり前のことが公言しにくい不自由さを思う。「近隣国のために」とか「お客様第一」ではないのだ。過去への反省と、未来の国益は別の問題であるからだ。なんでも無料でサービスを追加追加してきた歪さも、日本の閉塞感に繋がっている。アメリカはアメリカ第一で、日本は日本第一で、ドイツはドイツ第一、チャイナは言わんでもチャイナ第一で、が当たり前なのだ。

 

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さて、ここからが、アメリカ人の限界を露呈するような演説内容だ。

批判の矛先はテロリストへ向かう。

“We will reinforce old alliances and form new ones, and you unite the civilized world against radical Islamic terrorism, which we will eradicate completely from the face of the Earth.”

〈我々は古い同盟を強化し、新しい同盟を築く。あなた方は、文明化された世界と団結し、イスラム過激派のテロリストたちをこの地球上から完全に殲滅するのだ〉

異論はない。

“When you open your heart to patriotism, there is no room for prejudice. The Bible tells us, how good and pleasant it is when God’s people live together in unity.”

日本人の私はここで「ん?」と思ってしまう。

〈心を愛国心に委ねるなら、そこに偏見の入り込む余地はない。聖書は、神の子らがひとつになって暮らすことがいかに幸せで喜ばしいことかを教えてくれる〉

いや、あの、国内のバイブルとか関係ない人たちともユナイトすべき時なんだけど……。

聖書に手を置いて、誓いを立てるのがアメリカの大統領就任式だが、この辺りがアメリカ人の限界であり、非キリスト教の日本人である私の理解の限界である。

アメリカ人というのは反省をしたことがないという、世界でも稀有な人たちだ。

船で大挙して大陸にやってきて、キリスト教の布教という名目で先住民を「救ってやる」という大義の下で虐殺をしてきた。これがマニフェスト・ディスティニーという、建国の礎となった考え方だ。原爆投下もそうだった。サダム・フセインの抹殺もそうだった。

なぜアメリカが、今のアメリカの在り方になったのか、誰かのせいにするだけでその反省もほとんど感じられない。

 

“Together, we will make America strong again. We will make America wealthy again. We will make America proud again. We will make America safe again. And yes, we will make, we will make America great again.”

〈共に、我々は再びアメリカを強くする。アメリカを再び豊かにする。アメリカを再び誇り高くする。アメリカを再び安全にする。そう、アメリカを、アメリカを再び偉大にするのだ〉

いいんだけどさ。自国の利益を第一に考えるのが当然なのだから。率直なところがトランプ大統領の美点でもあるから。しかし、オバマ氏のあとだけに余計に際立つ、この謙虚さの欠落が、とてもアメリカ人らしくて、過剰に謙虚で損をしてきたような日本人からすると、再びちょっと羨ましい。

安倍首相、岸田外相、マジで、この演説は「遠慮はいらないぜ」宣言なので、思い切り図々しくやり合ってきてくださいね、と思うのだ。本気で殴り合った者同士だけが、痛む手でお互いの手を握り合える、ということは去年の広島と真珠湾が教えてくれたことだ。

これにて日米の外交史に新たな章が立てられる可能性もなきにしもあらず、と信じたい。

「電通はなくならない。自由がまたひとつ、なくなる」

去る十二月二十三日に、電通が二〇一六年の「ブラック企業大賞」に選ばれ、二十六日には厚生労働省長時間労働削減推進本部(本部長・塩崎恭久厚労省)が、過労死ゼロを目指す緊急対策を公表した。

・企業に対し、実働時間と自己申告時間の乖離がないよう実態調査を要請

長時間労働等に係る企業本社に対する指導、労基署による立ち入り調査の実施

・是正指導段階での企業名公表制度の強化

・複数の精神障害の労災認定があった場合、企業に個別指導

パワハラ防止に向けた周知啓発の徹底

産業医への長時間労働者に関する情報提供の義務付け

・夜間・休日に相談を受け付ける「労働条件相談ホットライン」を毎日開設

などが発表された。

二十八日、電通と自殺した新入社員の直属の上司が書類送検されるに至り、記者会見の席で石井直社長が明くる年1月での辞任を表明した。

 

会見で記者の質問に答えながら、石井社長は、「プロフェッショナリズムの意識が強く、一二〇%の成果を求める社員が多い。仕事を断らない矜持もあり、それらは否定すべきものではない。しかし、それら全てが過剰であり、その社風に施策としての手を打てなかった責任を感じる」と述べた。

中本副社長は、「電通ブラック企業ではない、と声を大にして言いたい。が、世間にそのように思われている事実は真摯に受け止める」とした。

 僕は電通に約十五年在籍し、広告制作の現場で働いた経験を踏まえ、「電通ブラック企業ではない」という見方については首肯する。電通は若い働き手を低賃金で使い捨てにしてきたわけではない。むしろひと時代昔の社員なら「札束で横面を叩かれて働くんだ」と自嘲的に言ったものである。今でも上限までの残業代は支払われ、それを越えてしまった場合でも支払われてきた。それを偽って少なく申告させた事実は、おそらくは人件費の削減が目的というよりも、労基署の目を逃れるため、または上司が責任を問われないための、その場しのぎの誤魔化しであったと考えられる。

 

 ブラックどころか、自由放任が過ぎたのだ。

 他の企業は知らないから想像になるが、個人の裁量は大きい。但し、広告主企業の決定が絶対な業界であるため、それを裁量と呼べるのは企画提案段階までで、制作作業に関しては裁量などほとんどない。それでも自由はあった。徹底的に働く自由、ヒマな時はサボる自由。社内外含め、スタッフの力を借りられる自由。悪く言えば、人を使う自由。その使い方もあくまでも自由。

広告企画制作の仕事なら、大まかな手順はあるものの、毎回カスタムメイドであるため、「こうすればうまくできる」というシステムやレシピのようなものがあるわけではない。その度にしっちゃかめっちゃかな事態が起こり、めちゃくちゃに崩れたスケジュールとたたかいながら、ビクとも動かない納品日(たとえばオンエア日)になんとか合わせて着地させる。言うなれば、こんな感じの自由だ。

 その自由の中で、自由を濫用する人に当たると不幸が起きる。自殺してしまった女性社員を最悪の事例として、それ未満の例であれば大抵の社員は程度の差こそあれ経験はあるはずだ。

 

 電通の人は基本的には仕事が好きであるため、管理職である上司すらも現場を自由に飛び回って不在がちなことも多い。退職することなく何十年も在籍している人は、それだけでもこの仕事を愛している証左とも言えよう。本来は苦しくも楽しい仕事なのだ。

 そんな中、困ったことがあっても、相談相手であるべき上司を捕まえることすら難しい状況があるし、基本は自由なので手取り足取り助けてくれることの方が稀である。人間関係が冷たいのとはまた違う。自分のことに忙殺されていると、他者への気遣いができない場面や人格ができてしまう。そして自由に人を傷つける言葉を吐いてしまう。

 しかし、それは「いくら腹が減ったからといって、物を盗んで食べてはいけません」と同じ当たり前のことで、今回書類送検された元上司と、その予備軍たちを擁護はできない。

 石井社長が話した通り、電通の美点と今回の汚点は表裏一体であった。

 

 だから、今後は広告の仕事は担当の自由な差配に任せっぱなしにはできず、(将来的・究極的には人工頭脳にやらせることも含め)もっとシステマチックになるのか、管理職がその役職通り、厳密に管理しながらイチイチ社員の手綱を締めつつ進めるのか、なんにせよこれまでのような自由は諦めなくてはならないだろう。

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 僕個人は、電通になんの恨みもない。テレビに映る高橋まつりさんの顔と、並んだ社長、副社長、人事局長の苦渋に満ちた表情の向こうに見える、これからの電通の姿を想って、二重に哀しい思いがしたのであった。

 自由よ。これの使い方を誤った連中が、まつりさんと電通の自由を殺したのだ。

 

「不寛容という見えない敵に」

しんどい一ヶ月であった。

先月書いたコラム『広告業界という無法地帯へ』への反響として、メディア各社から取材が押し寄せた。新聞社二社、テレビ局四社、雑誌社二社、インターネット系二社など。ラジオ番組でも僕の知らないところで紹介されていたようだ。

一部、取材をお断りしたり、収録したけど放送されなかったものもあるのだが、なるべく受けようと努めた。

僕にとってはほとんど得にもならない。それどころか、この忙しい時期に時間をかなり消費することになる。謝礼をくれたのはわずかに一社だけだ。金額は知らない。勝手に口座に振り込んでおいてくれればいい。

しかし出会った人たちは皆、礼儀のある気持ちのよい人たちであったことは言い添えておきたい。

時間を割いた理由は、電通の社長なり上層部が出てきて堂々と話さない上、現役の社員たちには箝口令を敷いて、「フェイスブックに、楽しげにバーベキューしてる姿とかポストするな」とまで指示をするからである。これでは、「鬼十則が悪い」だの「富士登山研修のような体育会系体質」だの、あることないこと報道に言われっぱなしで、この業界の過重労働問題の本質を見誤るからだ。

特にテレビというのは、まだまだ影響力が強いのにもかかわらず、短い時間で一点突破する特集を組みがちなので、誘導的なものになりやすい。

 

僕は、あるテレビ番組のディレクターに、「いかに電通の業務がしんどかったか」ばかりを訊かれ、訝しんだ。

そこで、彼の目を見て問うてみた。

「僕は、電通の仕事の大変さだけを強調したくてあのコラムを書いたわけではありません。しかし、おたくは、広告主のことをテレビで言えるんですか?」

彼は驚くほど率直に答えた。

「言えません」

 

テレビというもののビジネスの構造上そうなのである。だって、雑誌や新聞と違い、本業の収益の一〇〇パーセントを広告に依存しているのだから。

「それを作ったのが電通だろう」という批判がすぐに飛んでくるだろう。

そうだ。だからみんな、どんな優れたドラマでも、スポーツ中継でも無料で観られるのだ。吉田秀雄はつくづく偉大であった。

あ、でも、NHKには視聴料を払いましょう。

 

他によく訊かれたのは、「どうしてあなたは電通を辞めたのですか?」。

理由はいくつかあるが、僕は会社が嫌で嫌で辞めたわけではない。不満のひとつやふたつはあったけど、恨みは何もない。

ただ、「やりたいことがあって、会社員をしながらできる術がなかった」としか言いようがない。

 僕は会社を辞めてから二週間後にカナダに飛び、ひと夏の間カウボーイとして牧場で働いていた。会社には一時休職制度があったから、可能ならそうしたい気持ちはないでもなかったが、そこには「社が認めた理由により云々」という一文があった。つまりそれはMBAを取得するために留学するとか、何か今後社業に貢献できる理由が求められたのだ。

 「カウボーイ? それが今後の仕事にどう活きるのですか?」

と総務のおっさんとか役員に問われたなら、いくら屁理屈をこねて難局を切り抜けてきたコピーライターとしても、

「えーと、あのー、そのー、なんて言うか……」

まったく何も思い浮かばない自信があった。

 

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しかし、三五才くらいで気付いていたのだ(明日、私は四一才になる)。

「オレもいつか死ぬ。もう人生の半分以上が終わってしまった」という否定し得ない事実に。

会社で能力を十全に発揮してきたかと言われれば、まったくそんなことはないのだが、電通での生活も十数年もやれば、一旦いいだろうと思えた。一度ありついた食い扶持に一生頼らなくてもいいではないか。

今はあれやこれや思うままにやりながら、およそ思い通りには事は運ばず、たまに途方に暮れたりしている。仕方ない。ダメなら僕の責任でしかない。

 

現代のビジネス社会というのは「失敗が許されない」仕組みになっている。成功するよりも、「失敗しない」ことが重要視されていて、組織で仕事をしていればそれなりの結果がそれなりに得られるようになっているように思う。二重三重に失敗しない防御線が張られていて、冒険は難しい。

その中でも本当に能力のある人は飛び抜けた成功例を作っていくのだけど、僕のような凡庸な人間は、失敗しない程度の仕事しか成し得なかった。

 もちろんそれが組織に守られているということだ。

僕は会社員時代に、「言った言わないのよくあるトラブル」に巻き込まれて、新入社員一人の年収分くらいの損失を会社に負わせてしまったことがある。僕はハラを切る覚悟をして、上司を呼び止めた。

 

「すみません。こういうわけで、これだけの損失を出してしまいました」

と報告する僕に、彼は即座に反応した。

「わざとか?」

僕は、普段温和な上司からの叱責の言葉と受け止め、一瞬当惑した。

「はい?」

「わざとか?」

彼は繰り返した。

「いいえ。わざとではありません」

「うん、ほな、ええわ」

彼はこれだけ言い残すと、どこか次の用事へと去っていった。

 守られていたのだ。前回書いた花岡先輩(仮名)や、この上司のような人たちに。

 少なくとも、僕が知っているかつての電通は、寛容な会社であった。

今、日本のあちこちで問題になっていて、電通の今回の件にも根っこで繋がっている問題に「不寛容さ」がある。

 

■カネを払うことへの不寛容

誰も彼もが、個人でも企業でも、「可能な限り極限まで、出すカネを少なくしたい」と思っている。しかし、それは自分が支払われるカネも極限まで少ないということも意味するだろう。

相手に正当な金額を払うことが、できるだけ払わないことよりも重要なことなのではないだろうか。そうすれば、払われた彼は欲しかったものを買うだろう。必要なもののひとつグレードの高いものを買うかもしれない。そういう人が増えていけばやがて、自社の製品も高いものを誰かが買ってくれるかもしれない。それが、経済が「回る」ということなのではないのか。

 

その正当な額をどのように評価・決定するのか。それは自分に基準があるか、ということでもある。たとえば、デザインや文章などの無形なもの。こういったものは安く考えれば「ただの絵やないか」「文字やないか」と無価値にも思えるかもしれない。日本人は無形なものへの敬意が足りないまま、工業製品(実体物)に重きを置いて、経済活動を推し進めてきたから。そして、原材料費を積み上げてモノの値段を決めてきたから。

 

僕は個人的には、物を買う時でも、物にカネを払うのではなく、人に払うような気でいる。「これを作った人」「売るための労力を割いた人」に対する対価として払う。

服なら服で「これ、誰がデザインしたんだろう。この機能、誰が考えたんだろう。このステッチ、手間かかってるなぁ」。こう考えると、自分なりの正当な価格を差し出すことへの心理的負担が軽減しやしないだろうか……。

 

■不便なことへの不寛容

どこもかしこも二十四時間営業でなくてもいいのではないか。世界の国々の夜はもっと暗いぞ。正月は静かでいいのではないか。すぐに届けられなくてもいいではないか。それ、今すぐ必要なのか。時間通り配達されなくても、そりゃ渋滞もあれば荷物が多い日もあるかもしれないではないか。

 確かに、日本の製品は便利にできていて、サービスは痒いところに手が届いている。素晴らしい国、国民だと思う。

ちょっとしたアイデアや工夫を生み出す努力は長所として残っていけばいいのだけど、「人数と気合さえあれば実現できるサービス」に驀進しすぎてはいまいか。

人口が減少していく中、もうその人数も、気合のある若い働き手もいないということに気付かなくてはいけない。

 人数と気合でやっているうちに、日本企業はアップル、アマゾン、スターバックス、イケアなど、独自の哲学と方法に知恵を絞ってきた外国企業に世界市場で主役の座を奪われてきた。彼らの価値の大きな部分は、無形なものにあるということも忘れてはいけないと思う。

 

前述の「自分の基準」はここでも適合できて、「他社がやっているから」とかはどうでもいい。「うちの会社はこうなんです」という独自性が評価されるといい。

「他社様のことは知りませんが、我が社の規模や方針、能力、そして従業員の幸福に照らし合わせると、そのサービスは現時点では不要と結論します」

株主って誰なのか。株主総会でしょーもない質問をしてくる人には、このように言ってくれよ、全国の立派な会社の社長。ちゃんとコミュニケーションすれば、捨てる神あれば拾う神もあるだろうに。

 

■他者のミスへの不寛容

僕にも、レストランで食べ物に髪の毛が入っていた経験はある。そんな時どうするかと言うと、「髪の毛を取り除いて食べる」。

いや、ラーメンにロレックスが入っていたら問題だよ。その時は店の人に言うかもしれない。あと、指とか。しかし、髪の毛はありえないことではないし、そないに汚いものでもない(個人差があります)。

普段もっとすごいところを喜々として、または義務としておクチに入れているくせに、文字通り「どの口が言うか」だ。

 電鉄会社のミスですらないのかもしれないが、電車が遅れる時など、常に遅刻をするワタシは、「やった! 遅刻の理由ができた」くらいに思っている。最近は電車に乗っていると、「電車が二分遅れております。お詫び申し上げます」と、やたら「二分」を強調した口調でアナウンスが入る。異常だよね。

 

■他人の成功や僥倖への不寛容

ここまで来ると、アタマの正常度合と心の健康具合を疑った方がいい。

嫉妬は、英語で言うと「shit」です。

 

何者でもない私が、エラソーに述べてしまったが、キレイゴトに基づいた夢想をしてみたまでだ。問題は根深く、複雑で、もはや空想するしか気分が晴れなくなってしまったのだ。

 僕自身は決して寛容な人間ではない。松竹梅があれば、大概「竹」を選んでしまう小さい男でもある。我が身はかわいい。ヒゲとか生えてるけど、めちゃくちゃかわいい。常にニコニコしているタイプの人間ではない。あのコラムの通り、体重差三倍の営業を、刺し殺したろかと本気で考えた酷い人間だ。いつも何かに怒っているようなしょーもないおっさんだ。うれしい時には素直にそれを表現できないくせに、クソ野郎にはクソ野郎なりの応対を直截にする。

 

ただ、僕も世の中を腐らせてきた責任の一端を担うのであろう人間として、あなたご自身はどうであったか、いっぺん問うてみてほしいと思った次第だ。

寛恕願う。

「広告業界という無法地帯へ」

電通の新入社員が自殺して、超過勤務による労災が認定されたという出来事が、メディアで連日取り上げられている。若くして人生を諦めてしまった女性社員の無念と、ご家族の心痛と、友人や同僚たちの動揺を思うと、僕の心も穏やかではいられない。

 僕は二〇〇一年に電通に入社し、十五年目で退職するまで関西支社に勤めていた。だから、去年の新入社員だった彼女とは勤務地も違えば、ほとんど入れ違いになっているため直接の知己ではない。だから、彼女の個人的なことに関しては何も知らないので、語るべきを持たない。

しかし、電通という会社、広告業界という特殊な世界については、少し知っていることがある。

この件に関して、加えてこの春に話題になっていた五輪招致にまつわる贈賄疑惑、続くインターネットの空広告の不祥事についても、電通を擁護する気はない。

但し、まず明確にしておきたいのは、電通はメディアの支配者でも、日本国の影の主権者でもないということだ。電通で働いたこともない人たち、電通の内部を知りもしない人たちが「電通というのは恐ろしい会社だ」、「日本を牛耳っている存在だ」、「悪の権化だ」と吹聴することに関して、社員たちがどのように思っているか。少なくとも、僕は「勝手に言っておけ。もっと言え」だ。

なぜなら、そのようにまことしやかに囁かれることは、業務上およそ不利には働かないからだ。「電通はなんか知らんが凄いらしい」、「電通ならやってくれる」という共同幻想が強化されるため、むしろ色んな仕事や相談事が舞い込んでくる。

旧ソ連KGBみたいなものだ。週刊誌ライターをしている知人から聞いた話だが、ロシアに取材に行く外国人記者は「各人の行動や通信は当局に完全に監視されているらしい。KGB出身のプーチンが統治するロシアにはそれくらいの力があるはずだ。だから気を付けなくてはいけない」と思い込むという。

実際はKGBだろうと、現在のSVRだろうと、そのような隠然たる力があるわけはない。物理的に難しいことなのだ。しかし、ロシア政府関係者はそれを否定はしない。勝手に陰謀論を信じ込んでもらうことで不利益はほとんどないからだ。

かくして、電通にも様々な仕事や相談事が舞い込む。「雨を降らせろ」みたいな荒唐無稽なことは無理だが、「我が社のこの巨大プロジェクトを着地させよ」とか「これをx日までに作り上げろ」といった仕事なら、電通は大抵のことはやり遂げてしまう。社員や関係会社のスタッフが血反吐を吐くような思いをしてだ。

 だから僕は「もっと言え」と思っていたのだが、「黙っとけ」と思うこともある。電通に長時間勤務の是正勧告が入ったことに対し、やれ「ブラック企業」だ「潰れてしまえ」だと、実情をなにひとつ知らずに全否定をして溜飲を下げる人たちだ。

 長時間勤務の問題は、電通上層部が何十年にも渡り頭を悩ませてきたことだ。

そこまで悩むならいい加減解決策を出せ、と言われるだろうが、そうはいかない。

理由のひとつは、「電通は自社でモノを作って売っている会社ではない」ということだ。自社の工場を動かす会社なら、製造量を制限して「はい、ここまで」と電気を消して、社員を帰らせれば済むかもしれない。しかし、広告業界というのはクライアント企業から仕事を請けて初めて仕事が発生する受注産業である。

僕がいた頃でも、「残業は月○○時間まで」、「夜十時以降の残業をする際は、上長の承認を事前に受けること」などといった非現実的な規則が導入されていった。夜九時に営業から電話があって、「あの件、変更になった! 明日までに代案を出せって!」と言われたりしたなら、「上長の許可が得られませんので対応できません」と答えろとでも言うのだろうか。それを営業はクライアントにどのように伝えるというのか。また、営業は、そう言うコピーライターに次に仕事を頼みたいだろうか。

 先人たちの努力により「大抵のことはやり遂げてくれる」との評価を築いた電通は、いつしか「どんな無理を言ってもいい存在」に成り下がってしまった。

日本企業の広告宣伝部、広報といった部署が重要視され肥大化する中で、広告主の発言権が際限なく大きくなってしまい、キーマンをあたかも神のように扱うのが広告業界の悪癖となってしまった。もちろん、靴を舐めるようにして増長を許してきた電通博報堂を始め、各広告会社の責任も免れないだろう。拝跪して言われたことを聞き、ノタ打ち回って仕事を完遂することが優れたサービスだとして競争してきた結果が、今日の姿だ。

 電通の社員に灰皿を投げつける人、ボケカス無能と大声で面罵する人、そうやって高給取りの電通社員を足蹴にして悦に入るような人間が、日本のあちこちの企業にいる。あちこちにいて、今回の騒ぎについて知らぬ顔を決め込んでいる。

 正月休みの前に課題を投げつけて、休み明けに提出させる。盆もそう、ゴールデンウィークもそう、週末もそう。

撮影済みで、編集も最終段階にかかろうかというテレビCMに対し、打合せにもいなかったエライさんが急に「気に喰わん。やり直せ」と言ってくる。エライさん本人が言ってくるなら、弁の立つ営業ないしクリエーティブ・ディレクターなら、論理的説明、泣き落とし、詭弁、逆ギレ、屁理屈などなどあらゆる手を使って説得するかもしれない。しかし、現れもせずに部下にそう命じる卑怯者に打つ手はないのだ。

映画の中でもそうだろう。誰が誰に会う、誰にまず通す、というのは武士でもヤクザでもサラリーマンでも一定のルールがあり、身近な誰かの面目を潰すことはできないのだ。

 いいですか、恐ろしいのは電通でもNHKでも安倍政権でもない。どこにでもいる普通の人たちだ。自分の存在意義を誇示するがために、他人の時間を奪うエライさんだ。自分の身がかわいくて、上司からの無理難題をそのまま下請けに押し付けるサラリーマンだ。それを唯唯諾々と飲み込んで徹夜してしまう労働者たちだ。

 無論、僕もそのひとりであり、何もできることなどなかった。できたのは、会社を辞めることくらいだ。

たまに命の危険を感じることがあった。

いつか頭の血管がプツッといって斃れるのではないかという予感。

これくらいが人間が働ける限界なのではないかという感触。

横になっても一睡もできずに朝を迎えることが週に二度起きた時には、医務室に行って薬をもらった。

なんでもストレスのせいにするのは好まないが、蕁麻疹、痔、下痢、顔面痙攣などなどはあった。

今だから言うが、アメフト出身で僕の体重三倍くらいある営業とケンカになり、翌日「今日は殴り合いをせざるを得ないかもしれん。掴まれたら絞め殺されるので、こっちは刺し殺すしかない」と心に決めて、ナイフを尻のポケットに忍ばせて会社に行ったこともある。サラリーマンがここまで思い詰めて働かなあかんのか!

 「夜十時以降の残業禁止」とか「電灯消すから帰れ」と、勝手に決めるのはカンタンだ。では、目の前の仕事と雑用をどうすればいいのか。出口ばかり塞がれても、入り口から流れ込んでくるものを制限しないと溢れ返るではないか。どの組織でもそうだろうが、仕事の大半は生み出す作業ではなく、捌くことだ。メールを、書類を、案件を。

クライアントは容赦なく「あれしろ」「これもしろ」「明日までに」「朝イチで」と申し付けてくる。営業は困っている。どうすればいいというのだ。

 

 断っておくが、広告業界は酷い人間ばかりではない。

広告が面白くなくなったのは、上記の広告宣伝部の肥大化と消費者からのインネンを極度に恐れる日本企業の風潮のせいだ。

僕は、僕が関わる広告に「※CM上の演出です」と意味不明なキャプションを入れなくてはいけなくなったら会社を辞めようと決めていた。幸いにもそういうことはなかったのだが、ある時こういうことがあった。

 詳細は伏せるが、「液体に映る模様が日本列島のようなかたちを描いている」グラフィックを制作した際に、僕は日本の大きな四島以外を割愛した。というか、それ以外を描いていないことに疑問を持たなかった。あくまでも模様だから、沖縄も佐渡島もその他離島も、もっと言えば半島も正確には反映していなかった。

その広告が出た後に、「あのー、『愛国的な』方からご指摘がありましてね」とクライアントに呼び出された。僕は内容を聞いて「ごもっともだ」と思った。沖縄は県であり、なにがしかの形で描いておくべきだった。戦争を巡る本土と沖縄の人たちの微妙な気持ちのすれ違いも理解している。僕も愛国的な人間として、そこは見据えておくべきだったと自分を恥じたものである。

 「で、その『日本の中に沖縄がないいうんはどういうことや? おたくの会社は、沖縄を日本の一部と認めてへんいうことかえ』とおっしゃるその方にはなんと答えたのですか?」

僕はクライアントに尋ねた。彼の答えはなかなかのものだった。

「いえ、そんなことはございません。弊社は○○年より沖縄で××というイベントを開催していまして、沖縄への貢献として××という活動も続けております。しかし、ご指摘は大変貴重なものとして受け止め、今後の広告活動に役立たせていただきます」

僕は自分たちの不注意を、このようにカヴァーしてくださった、この、いつもはヘタレで、考えろいうから提案した企画を副社長のところに持って行っては、毎度これとは別の件で叱られてその話題にも至らずにスゴスゴ帰ってくるおっさんを少し見直したのである。

その会社の製品を僕は今でもずーっと使っている。色々面白い経験をさせてもらったと感謝している。

 

 長時間残業が減らない理由をもうひとつ挙げるなら、アイデアという無形のものを扱っているため、企画においては「これで完成」ということがない。 コピーを考えるにしても、あと一時間考えたらもっといいモノが書けるのではないか、これでいいのだろうか? という疑念は常に脳裏を離れることがない。

電通と一口に言っても、部署ごとに業務内容も全く違えば、感じるプレッシャーも違う。僕が知る広告制作の現場で言えば、こういう側面もあるのだ。

 それを根性論と片付けることもできるし、確かに根性論で成果を上げている先輩もいたから、体育会系が大嫌いな僕のような軟弱な人間でも、一目は置かざるを得ないのだ。

もちろん勤務時間に含めることはしないが、夜中にベッドの中で何事かを思い付いて、起き上がってメモするような経験は、この仕事をしている者なら誰しもあったはずだ。

 電通の人間は基本的には仕事が好きで、楽しいことを実現したいと思っていて、やめろと言われても仕事をするような人たちだ。世間で思われているほど裕福ではなく、みな残業代が今月は多いの少ないのと言って、半ばそれに生活を依存しているのも事実だ。

 しかし、死ぬまで、もしくは人生を終わりにしたくなるほど、精神を病むほど、働くべき職業ではないだろう。芸術家が命を削って作品を残すのは意味がある。消防士が己の命を顧みずに火の中に突進するのは賞賛されてもいい。兵士が前線に志願して行くのも誰かがやらなくてはいけない仕事かもしれない。

電通はちがう。もっとくだらなくて、どうでもいい仕事じゃないか。それに命を懸けているフリをしないと仕事を獲得できないインチキな仕事なだけじゃないか。

 オレはゲームを降りた人間であり、箝口令とは関係ないところでホソボソと暮らす者だから言わせてもらう。

電通グローバル化を推進していて、外国の大きな会社を買収し、取締役に外国人を招き、会計年度まで海外に合わせて三月から十二月に移した。外ヅラだけグローバル企業を取り繕い、内実は昔ながらのドメスティックなやり方で、現代ならではの非人間的な組織運営を進め、どうするつもりなのか。

欧米の広告会社がどうしているのかは知らないが、グローバル気取りするなら、仕事の前に契約書でも取り交わして、することとしないことと、できることできないこと、その料金表を提示して、それを遵守したらどうなのか。「働くな。しかし任務は死んでも完遂せよ」と、社内の締め付けを強化して何かが解決するのか。

 広告界にもルールはあるはずだ。協会とかあるなら、広告主へのベンチャラ団体、内輪の親睦団体にしておかず、ルールを明文化することに寄与でもしたらどうなのか。四代社長、吉田秀雄が作ったメディアビジネスの枠組みで大儲けしてきたのだから、次は業界で働く人が命を落とさないための基本的なルールを広告に関わる全ての企業に説いたらどうなのだ。

それでも横車を押す企業があるなら、その時こそ電通が隠然たるパワーとやらを発揮するべきだ。それが何なのか僕にはわからんのだけど。

 僕がそもそも広告業界を選んだ理由は「何でもアリで楽しそうだった」からだ。しかし、もはや「何でもアリの無法地帯」ではないか。いつ何を言っても広告会社はなんとかするべきだという風潮が蔓延している。

ワイルド・ワイルド・ウェストの世界だ。以前はそれが社会から半分ハミ出したような荒くれ者を受け容れる度量として機能していた。僕も荒くれ者の端くれとして、そこでしばらく糊口させてもらった。しかし、社員を飼い馴らそうとするなら、せめてルールの整備はしてほしい。さもないと死者が出る。いや、出たのだ。しかもまたしても。

 

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新入社員が命を絶つということが如何に異様なことか、自分の新人時代を振り返るとわかる。大阪に来て間もない一年目、僕は花岡さん(仮名)という先輩の後ろをウロチョロついて回るくらいしかできることはなかった。残業なんてできるほど自分の仕事はなかった。

ある夕方、花岡さんが言った。

「これから七時に打合せがあるんやけど、お前入れるか?」

僕は東京生まれでアメリカ帰りの鼻持ちならない新人で、バカ正直に言った。

「実は……、これからデートの約束がありまして」

テレビドラマなら、「はい!」と答えて陰で女の子に「ごめーん」とケータイ(当時)でも入れるところだろう。

花岡さんは言った。

「そっか、ほなそっち行け。お前は仕事覚えるよりもまず、大阪を好きになれ」

 

自殺した彼女の不幸は、こういう先輩に恵まれなかったことではないだろうか。答えのない想像を巡らす。

何を言っても帰らぬ命だし、周囲は悔やんでも悔やみきれないだろう。大きな意味では同じ釜の飯を食ったひとりとして、僕は何事か思わざるを得ないのだ。

冥福を祈る。

合掌

 

補遺:このコラムは、『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?として、大幅加筆ののち毎日新聞出版より書籍化されました。

 

 

「アメリカはどこにあるんだ」

誰しも、使命感を持って続けていることがあるのではないだろうか。子供を育てることもそうだし、仕事にそれを感じて取り組んでいる人もいるだろうし、地域や業界や趣味で、何かの団体に所属することもそれに通じるものがあるだろう。
 
僕にとってそれはカントリーミュージックである。
いや、バンドをやっているとか啓蒙活動をしているとか、特に何かをがんばっているわけではなくて、時折コラムで紹介するくらいだ。
だけど、それを「使命感」だなんて大仰な言葉にしてみせたのは、父親の遺志に僅かながら応えたいという思いもあってだ。
 
僕の父親は生前、日本カントリーミュージック協会という団体を立ち上げて、理事として十年間活動していた。もう解散してしまった小さな協会ではあったけど、一応本国アメリカのカントリーミュージック協会の傘下として認定されていた。
 
まだインターネットが普及する以前だったので、会員に対して本国の最新情報を伝えることはもちろん、テレビ局からの情報提供の依頼に応じたり、コミュニティFMの番組のために流す楽曲のリストを作成したりしていた。
 
僕はそこまでするつもりはないのだけど、こういう素晴らしい音楽がどうしても日本で広く知られない歯痒さは感じている。
なにも高尚なものではなくて、ビール飲みながら聴いたり、BBQでもする時に流しておくのに持ってこいの大衆音楽だ。現代カントリーはロックやポップ音楽とほぼ相違がない、と言ってもいい。
古くからのファンによる「こんなのカントリーじゃない! ただのポップだ!」という批判はここ三十年くらいされている。
 
日本のレコード会社はテイラー・スウィフトがカントリー歌手だなんて一言も謳わなかったし、キャリー・アンダーウッドやケニー・チェズニーなど他の歌手も「アメリカンミュージック」と表記したりする。カントリーと書くと「なんだかダサそうで」売れないからだ。
 
なんだかダサいものが好きな僕はただ、これでアメリカ人の心に触れてきたし、カントリーを聴いて英語を覚えてきた
歌詞が優れていることはカントリーを知る人なら認めるところだろう。
大阪でカントリーバーを営む友人のマスターからリクエストがあったので、Blake Sheltonの"The Baby"という歌を翻訳する。マスターはカントリーを心から愛しているけれど、英語は苦手なのである。
でも本当は、歌詞がわかると音楽は倍以上味わいを増すだろう。友人のためにひと肌脱ぐ。
 
ブレイク・シェルトンはアメリカではトップシンガーの一人である
オーディション番組の"The Voice"の審査員もやっていたから、ケーブルTVでご存知の方もいるのではないだろうか。
 
このコラムの中で何度か英語文法の解説に絡めてカントリー曲を紹介しているが、今回は文法ウンヌンはナシ。ややこしいこと抜きで意訳だけすることにする。
 
"The Baby"
 
My brother said that I
was rotten to the core.
I was the youngest child,
so I got by with more.

お前は甘やかされやがってと兄は俺に言った
俺は末っ子で 兄弟とは色々あったんだ

I guess she was tired by
the time I came along.
She'd laugh until she cried,
I could do no wrong.
She would always save me,
because I was her baby.

たぶん母は俺が生まれた頃には
子育てに慣れて甘くなっていたと思う
俺が何をしたって涙が出るまで笑ってくれた
母はいつでも俺を救ってくれた
俺は彼女のベイビーだったから
 
I worked a factory in Ohio,
a shrimp boat in the Bayou,
I drove a truck in Birmingham.
Turned 21 in Cincinnati,
I called home to mom and daddy,
I said "Your boy is now a man."
She said "I don't care if you're 80,
you'll always be my baby."

俺はオハイオの工場で働いた
南部の港で海老漁船にも乗った
バーミンガムでトラック運転手をした
シンシナティで成人した
実家の母と父に電話してこう告げた
「あなたたちの子供はとうとう大人になったぜ」
母は言った
「あなたが八〇才でも関係ないわ
いつまでも私のかわいい子なんだから」
 
She loved that photograph,
of our whole family.
She'd always point us out,
for all her friends to see.

母は家族全員が写ったあの写真が好きだった
友人たちにわかるように一人ひとり指さした
 
That's Greg he's doing great,
he really loves his job.
And Ronnie with his 2 kids,
how 'bout that wife he's got.
And that one's kinda crazy,
but that one is my baby.

それがグレッグ 彼はがんばってるわ
自分の仕事を本当に愛してる
二人の子供といるのがロニー
こんないいお嫁さんもらって
それから この子はなかなか大変な子でね
でも私にはかわいい末っ子なの
 
I got a call in Alabama,
said come on home to Louisianna
and come as fast as you can fly.
Cause your momma really needs you,
and says she's got to see you,
she might not make it through the night.
The whole way I drove 80
so she coul
d see her baby.

俺はアラバマで電話を受けた
ルイジアナの実家に飛んで帰って来いという
母さんはお前が必要なんだ
最後に会わないとって言ってる
今夜もたないかもしれないから
俺はずっと八〇マイルで飛ばした
母が愛した息子に会えるように
 
She looked like she was sleepin'
and my family had been weepin'
by the time that I got to her side.
And I knew that she'd been taken,
and my heart it was breakin',
I never got to say goodbye.

彼女は眠っているように見えた
俺が母の横にたどり着いたときには
家族は泣いていた
それで俺にはわかった
母は神に召されたって
俺の心は張り裂けそうだった
さよならを言うことができなかったんだ

I softly kissed that lady
and cried just like a baby.
 
俺はそのレディにそっとキスをした
そして赤ん坊のように泣いたよ
 
Official Video:
 
この曲は二〇〇二年に発表され、カントリーチャートの一位になっている。シェルトンにとっては、デビュー曲の"Austin"以来、二番目のナンバーワンソングだ。
実際の彼はオクラホマ生まれ。十四の時に、兄のリッチーを交通事故で亡くしている。高校を出てすぐに、音楽キャリアを築くべく、カントリーミュージックの本拠地であるテネシー州ナッシュビル出ている。
 
この曲も含め自分では作詞はしないのだが、
「ダークス・ベントレーとか、同世代のシンガーソングライターは自分で書いてるんだから大変だよなぁ」
と呑気なことをラジオで言っているのを聞いた。
釣り好きで、「最近は釣り具屋に行くと見つかって大変なことになるから、もっぱらネット通販でしか買えない」とボヤいていた。
南部訛りがキツく、田舎の気のいいあんちゃん丸出しである。
二度離婚して、二〇一五年にはフォーブス誌の試算でおよそ三十億円分稼いだビッグスターであることは脇に措いて、僕はこういう男と友達になりたいと願う
 
最近、日本ではオレゴン州ポートランドやニューヨークのブルックリンが流行ってるって? それからカリフォルニアだって?
どれもアメリカの一面ではあるんだけど、本当にアメリカらしいアメリカとは、都会ではなくてオハイオやケンタッキーやノースキャロライナやオクラホマの名もなき町にあると僕は考えている。
カントリーを聴きながらピックアップトラックを運転し、家族を想ったり、小さな恋をしたり、それを失って涙浮かべてウィスキー飲むような連中が、僕らと何ら変わらない人たちだということがわかる。
 
僕が去年の夏カナダでカウボーイやっていた時もよく彼の歌を聴いていた。時折、トラクターの運転席で、僕も涙を浮かべたものである。
 
僕の母は東京で健在だ。
しかし、我が家の「なかなか大変な末っ子」である弟はオハイオ州シンシナティで成人したし(僕は三人兄弟の真ん中)、なんだか共感できるところが多くて心の中の脆弱な箇所をふいに突かれてしまった
二〇〇六年六月号 「弟A」(これ、十年前のコラムだから、今はもっとマシな暮らしをしています):
 
僕は、十年前の冬の早朝にこの世を去った親父の死に目には会えなかった。その前に辛うじて、さよならは伝えることができたんだけど。
いくつか彼に感謝を込めて誓ったことがあって、そのうちのひとつが「死ぬまでカントリーを聴くよ」ということだった。
 
個人的な話になって申し訳ない。ここまで付き合ってくださってありがとう。
マスター以外の方々にも、こういう人間の血が通う歌が、二十一世紀にも現存していることを知ってもらいたかっただけなんだ。
 
だから、なるべく家族の写真は紙焼きにした方がいいと思う。
みんなそれぞれ忙しいし、カネもないんだろうけど、何年かに一度は家族で集まった方がいいと思うんだ。
 
来月、末っ子の弟が六年ぶりに日本に帰ってくる。
 

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