月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「ウヨクに言いたい。サヨクに訊きたい」

「テレビが報じない!」、「言論封殺だ!」と嘆きながら、ネットで思い切り自由に発言している意見がよく聞こえてくる。
「いい時代のいい国に生まれたじゃないか、キミたち」と、僕は思って眺めている。
 
現代のテレビ放送のメジャー局がどういう人々に向けて番組を作っているか考えれば、鋭い見方、核心を突いた意見、痛みを伴う真実というのは放送しにくいことは想像に難くない。
政府が圧力をかけていると指弾する人もいるけど、具体的にいつどのようなかたちで圧力があったのか明らかにできる人はこれまでいたためしがない。一部の新聞は、「圧力などない」と明確に否定している。
 
テレビ局側からすれば、一番嫌なのはおかしな視聴者からのしつこい抗議だろう。テレビ消せばいいのに、わざわざ電話代かけて抗議してくるヒマでおカネのある人たち。
だから、誰もが否定しない、当たり障りのないものしか映したくないのだ。
 
もっと言えば、クイズ番組を観れば、どういう視聴者を想定しているかよくわかる。上からな言い方で申し訳ないけど、僕は嫌いなのだ。ああいう常識ばかりを問う、おバカなタレントを笑うための簡単なクイズ番組が。
それどころか、民放すらも最近は観なくなってしまった。
しんどいのだ。常に明るく楽しくなければならないと、大袈裟に演出する強迫観念に憑りつかれたような雰囲気が。
 
電通に勤めていた頃は、テレビCMはなるべく観るようにしていた。今はそれもしんどい。広告主の思惑と、制作者の苦悩が透けて見えてしまって、おもしろくない。
現役の広告業界の人たちの大半なんか、テレビCMすら見ていない。朝から深夜まで働いていて、見る時間などないのだ。
 
「テレビは報じない!」と言っている人は、この「当たり障りのない明るく楽しいものだけを映す箱」であるテレビなんか消して、他のことをしたらいいのだ。
とはいえ、テレビは偉大である。影響力・制作力・権威の総合力において、今でもこれからもしばらくはメディアの王であり続けるとは思う。
但しそれはエンターテインメントの分野においての話で、情報や報道についてはもはやそうではない。
 
今回はこんな話がしたかったのではなかった。
「誰もよう言わん本当のこと」を書こうと思っていたのだ。
 
先日、バーで飲んでいて、何気なく自分のライターを傍らに置いていたら、一緒にいた相手がこう訊いてきた。
「ショータさんは右翼なんですか?」
 
僕はいくつも持っているライターの中で、その日こういうものを使っていた。

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旭日旗のデザインだ。
 
「ウヨクじゃねえよ。オレは単に愛国者なだけだ」
現在の日本語において、右翼という言葉の中に包含される排他的な意味。これは否定しておきたい。
右翼→排他的→ヘイトスピーチ憲法九条の改正→核武装。やめてくれ。勝手に想像を飛躍させて、人の頭の中まで決めつけないでくれ。
オレは愛国者なだけで、上記すべてを肯定するような人間ではない
穏やかを好み、フェアで、論理的でありたいと願い、問題の解決に向けて思考を巡らせる一介の愛国者でありたい。
 
右翼、左翼の定義すら難しい複雑な世の中になってしまったかもしれないが、僕は小さな政府でとにかく自由主義、個人の責任が伸長すればいいとは考えていない。アメリカで言うなら、民主党寄りの考え方だ。国民皆保険を導入しようとしたオバマ大統領ですら現地では「左翼!」と罵られている。同時に「ヒトラー!」と侮辱されていたのだから、わけがわからない。
トランプ候補に関してはもはや右翼なのか愚かなのかも評価のしようがない。
 
仮にも僕は日本で生まれ育ち、アメリカで暮らし、インドネシアカナダで現地の人間たちと共に働いてきた。そういう人間が、これまで外国人たちに受け容れられてきておいて、排他的になどなれるはずがない。
 
いいですか。旭日旗というのは、明治時代にデザインされ、その後、旧日本軍も軍旗として採用していた。現代でも自衛隊と、朝日新聞その他の私企業がロゴマークとしてデザインの一部を使用している
意味はライジングサンで「日出ズル国」。日本人は紅白をめでたいものとしてきたし、初日の出や富士山からのご来光を崇めてきた。
世界各地では、旭日旗のデザインが日本のクールな象徴として今でも通じる。実際に、バンコクの百貨店で、世界各国をイラストで表現した壁面を見たことがあるが、フランスはエッフェル塔で、アメリカ合衆国自由の女神で、ジャパンは旭日旗だった。
 
国を愛せるということは、幸せなことである。数日前までお盆だったから、故郷に帰っていた人も多いだろう。一度外に出ると、故国そのものが故郷に思え、愛おしむ瞬間が訪れる。
移民者・亡命者・難民などとして見知らぬ土地に生きる術を見つけなくてはいけない状況の人々もたくさんいる。
僕のアメリカ時代の初めのルームメイトはカンボジアアメリカ人だった。両親が幼い彼と姉を連れて、故国から移民して来たのだ。ポル・ポト政権下の七〇年代後半にカンボジアから渡ってきたというだけで、その苦労が偲ばれる。
 
アメリカ人はアメリカが好き。それどころか、彼らは自国が大好きだ。至るところに星条旗がある。街に、ビルに、製品に、Tシャツに……。

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カナダ人もカナダが好きだ。カナダで去年、カナダを誇りにするサインをたくさん見てきた。カナダ人には複雑な事情もあって、彼らアメリカという大国に隣接しているため、アメリカのテレビを観て、アメリカの音楽を聴いて、アメリカの映画を観て、アメリカに作物や資源を売って社会を成立させているという側面がある。
これを文化的な侵略と捉え、このままではカナダの独自性が失われてしまうと危惧する人も多い。だからこそ、製品には"Proud to be Canadian"と書いて、企業は"100% Canadian Owned"と殊更謳うのだ。

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インドネシア人もインドネシアが好きだ。

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しかし、僕が友人たちに「次に生まれるなら、どの国がいい?」と尋ねてみた際には、すぐさま「ジャパンだ!」、「お前の国だよ!」と答えた。
かといって、インドネシアを愛していないという意味ではない。僕だって同じように問われたら、「どこかヨーロッパの小国」と答えるかもしれない。夢想するのは自由だ。
そこで、
「いや、お前な、日本という国がどんだけ腐っているか知ってるか?」
などと言わない。世界に楽園などない。

インドネシア高官がどれだけ腐敗しているかなど、彼らと一緒に仕事していればいくらでも傍聞できる。

僕はアメリカが好きなアメリカ人が好きで、カナダを誇りにするカナダ人が好きで、インドネシアを愛するインドネシア人が好きだ。
それぞれが自国を愛し、それでいて相手国を敬いながら、学ぶべきを学び、それでもわけわからんことはいつまでもわけわからん。
世界の人間と付き合うというのはこういうことだ。というのが、僕のひとつの結論である。
 
だから、僕の感覚から言えば、日本人がデカデカと星条旗の描かれたTシャツを着て臆面もなく歩いていることの方が不思議なのだ。正確に言えば、独立国の人間として気恥ずかしい。
さらに、僕が日本国旗の付いたシャツを着ていたり、旭日旗のライターを使っていると「右翼ですか?」、「なんか怖い人ですか?」、「戦争肯定派ですか?」とくる。
バカヤロウめ。お前に向かって本気でヘイトスピーチしたろか。しないだけで、できないのではないぞ。
 
アメリカのディクシーフラッグをご存知だろうか。
アメリカの南北戦争時の連合国旗である。日本ではうまいこと北軍・南軍と呼ぶが、連邦vs.連合の国を二分しての戦いであった。
その時の連合軍、つまり南軍の目印が通称ディクシーフラッグである。

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現代においても、南部人の誇り、また反逆の証としてディクシーフラッグは南部(の田舎)ではためいてきた。ところが、KKKなどの人種差別主義者が掲げたり、最近ではサウスキャロライナ州の黒人系教会で銃乱射事件を起こした犯人が殊更見せびらかしたために、南軍旗に対する嫌悪感が拡大した。
 
南部諸州の議会は渋々南軍旗を掲げることをやめ、カリフォルニア州歴史教育の場以外で、南軍旗を政府施設で販売したり掲揚することを州法で禁じるに至った。
そもそも南北戦争自体が、その結果として、奴隷制否定の契機になったのも分が悪かったろう(開戦当初は奴隷制の可否を懸けた戦いではなかった)。
 
旭日旗も、街宣車を乗り回す人たち、匿名で罵詈雑言を撒き散らす所謂ネトウヨと呼ばれる人たちのためにおかしな色彩を帯びることになった。
あんなに、あっけらかんとメデタクて、颯爽と突き抜けて、燦然と輝ける意匠なのに。
ディクシーフラッグと共通する部分があるが、前述のように明治時代に開発された旭日デザインに人種差別的な意味合いはない。日本軍が使っていたからと言って、今日でも自衛隊朝日新聞までもが使用するジャパンを象徴したデザインではないか。
そんなことよりも、なぜ世界中が自国の旗や歌やカラーを誇らしげに扱うのに、日本がそれを躊躇うのか、根本を考えようではないか。
 
「一部の国が抗議してくるから」だって?
このコラムは言えないことを書くのだから、書こう。
チャイナと南北コリアでしょ?
ではあの人たちは、何なら抗議してこないんだ。
 
そりゃ町内会が一個ありゃ、一軒か二軒はおかしな家があるだろう。そういうものだ。
 
言いたいことは山ほどあるが、誰も言わないことを書く趣旨に沿って言うなら、我が国にとって最後の戦争というのは大東亜戦争であった。ところが、朝鮮戦争は一九五〇年からで、南にはアメリカはじめ民主主義国家、北の「朝鮮民主主義人民共和国」にはチャイナ、ソ連といった社会主義国家がついて、冷戦の縮図として半島を奪い合う戦闘を行なったわけでしょう。
結局、北緯三八度線で手打ちにしたことにより、同じ民族が分断された二つの国家に一旦落ち着いた。一旦、というのは、終戦はしていなくて、休戦状態のまま続いているから、ことあるごとに北の大将は「ソウルを火の海にしてやる」と恫喝するのだ。
ってことは、今の日本が軍国化するしない以前に、アンタら戦争中だし、大軍でもって北を支援したチャイナはどうなのだい。少なくとも朝鮮統一が成るまで、千年でも二千年でも許せない相手であるはずだろう。
なんかおかしくないか。機会があれば話そうぜ。
 
インドネシアの友人が、以前にオランダに旅行に行ったというから、僕は多少面食らった。
インドネシアは三五〇年間もオランダの植民地だったじゃないか。向こうでぎこちない感情はないのかい?」
「全然。家族みたいにもてなしてもらったよ」
 
日米が死闘を繰り広げたペリリュー島には、米太平洋艦隊司令長官チェスター・W・ニミッツの言葉を刻んだ石碑がある。
「諸国から訪れる旅人たちよ
この島を守るために日本軍人が
いかに勇敢な愛国心をもって戦い
そして玉砕したかを伝えられよ」
 
 これ以上、敗者側に何も言わせてくれるな。我々には恥という概念がある。
 
フィリピンが南シナ海でのチャイナの一方的な権益拡大に対して、あまりにも対話に応じないため仲裁裁判所に訴えた。その結果、チャイナの主張は全面的に否定された。それでも、彼らは「そんなものは紙クズだ」と無視を決め込んだ。国連の海洋法に基づいた規定により仲裁を求めた裁判所の判決を、国連の安保常任理事国が紙クズ扱いするって凄いことだ。
悪く見れば無法者、好意的に見るなら、なんと気骨のある態度……
 
だから、嫌われたっていいのではないか?
誰にも嫌われないように振る舞ったところで、好かれるわけでもないことはテレビ番組が証明してみせてくれてるわけだし。
 
戦争になるって? 嫌われたくらいで戦争になるなら、とっくになってるでしょう。
そうならないために、安倍内閣憲法解釈まで曲げて活動しているわけでしょう。いや、僕は自民党支持でもないのだが、安倍政権よりふさわしい選択が今のところ見つけられないのだ。
 
やはり僕は右翼かって?
愛国者だ。なんの権限もないが、平和維持への方策を現実的に考える一人だ。できることは、外国人に日本人がどういう者か見せることくらいだ。
言えない圧力を感じているのは、こんな普通の愛国心を胸に宿す市井の人たちだ。誰だって、好き嫌いを越えた、自分なりの正しい正しくないの基準に照らして、言うべきは言いたいはずなのに、差別主義者呼ばわりされるのは心外だろう。
 
右翼の人に言いたい。
普通の日本人の邪魔をしないでくれ。
 
そして、左翼の人に訊きたい。あなた方は領土領海の防衛・戦争回避のために何をしてきた? 日本の国会前に集まったって何の意味もないどころか、弊害でしかない。
中華人民共和国共産党本部前でやってきなさい。北京の中南海ってところにあるから。フィリピン以外にもベトナムインドネシア、マレーシアとのこと、臺灣、チベットウイグルとの関わりを知らないとは言わせない。
エクスペディアで安い航空券出てるぞ。
いい時代のいい国に生まれただろう。

「ウトゥクシクモナイシ、カワイクモナイクセニ」

サラリーマンの仕事をドライヴするものは「怒られたくない」という動機であると喝破したのは、元博報堂のネットニュース編集者、中川淳一郎さんである。

広告業界のしょーもないエピソードが著書である『夢、死ね』(星海社新書 二〇一四年)に書かれていて、業界にいる人間は身につまされすぎて笑えないけど、働く人の全てが大いに頷ける良書である。
 
僕はある晩、友人の小西くん(仮名)と呑んでいた。お互いにだいぶ酩酊してきた頃、小西くんに電話がかかってきた。広告業界にいれば、深夜であろうと休日であろうと構わずに電話が来るのは仕方があるまい。小西くんはそれがあたかも昼の二時半頃ででもあるかのように、「ハイッ!」と電話に出た。
 
僕はウィスキーの氷をカラカラさせながら待っていた。が、なかなか電話が終わらない。
一本済んだと思ったら、彼はまたどこかへ電話をしている。
それがしばらく続いた。何かトラブルでもあったのだろう。
 
彼の仕事は短く言えば、広告販促物を作ることだから、「納品日に間に合わない」、「制作物に誤字が見つかる」、「載せるべき情報に変更が生じた」、「試作したモノがうまくいかない」、「追加の依頼があった」などなど、様々な事案が日々発生する。
 
彼が神妙な顔つきでやっと電話を仕舞ったのを見て、僕は尋ねた。
「大丈夫? なんかあった?」
小西くんは苦笑いして、
「いや、あの、なんと言うか……」
と言いにくそうにした。
 
聞けばこうだ。
A社の仕事を請けたB社から発注を請けて、彼は制作物を作り、A社の倉庫にブツを納品した。配送したのは彼からの指示を受けた運送会社のトラックだ。
納品が遅れていて、催促の電話でもあったのかと思ったが、違う。
木曜日に納品する予定だったものを、月曜日に配達してしまったのだ。
つまり三日早かったのだ。
 
「ええやんか。何があかんねん」
「いや、ところが、B社の人が言うにはですね……」
 
A社の倉庫の人が予定にないモノが届いて怒っているかもしれない。だから、配送業者に言って、それを引き取りに行かせ、木曜日にもう一度運べ、ということのようだ。
 
「配送の人には連絡ついた?」
「ええ、おっちゃんは仕事柄もう寝てましたので、『はぁ? なんでんのん、それー』言うてました。まぁ当然ですけど」
「そりゃそやろ。引き取る言うても明日になるやん。それをまた翌々日持って行くわけだからアホらしいわな」
「僕も理由が説明できないから『とにかくお願いっ!』しか言えませんでしたわ」
「A社の倉庫は実際困ってたの?」
「いえ、おっちゃんはフツーに納品したそうです」
 
ということはだ、B社がA社に電話の一本でもして、
「すみません、三日早い今日届いてしまいました。倉庫の方に問題ないでしょうか?」
と訊けば済みそうな話なのだ。
問題があれば謝って、引き取ればいい。
しかし、人間の常識として普通「早い」場合には、「あぁ、そうですか。まぁ構いませんわ。ごくろうさまでした」で終わる話なのだ。
 
それをB社の人間が「怒られるのを怖れて」、A社の担当者が気付く前に、倉庫から引き取らせて、何事もなかったように納品し直して、「予定通り納品しました!」と報告したいだけなのだ。
 
これがええ年こいた大人の仕事か、と呆れるしかない。サラリーマンというのはこんなヤツばかりなのだ。
僕にも会社員時代には、もっとくだらない話はたくさんあった。が、くだらなすぎて忘れてしまった。そんなことをメモリーに残しておけるほど、僕の脳ミソには空き容量がないのだ(思い出したらまた書くけど……)。
 
だから、これを読んだ方は、「いや! オレの話はもっと酷いぞ」というのを送ってこないで下さい。そりゃあるでしょう、あるでしょうよ。しかし、私は、そういうしょーもなエピソードを奉納して成仏させる宗教施設ではありませんので。
 
前回、広告業界のしょーもな話を書いたら、お読みになった方々から慟哭のような共感の声を多々いただいた。
僕はこのコラムではなるべく批判のみではなく、解決策を提示することを心がけている。大概の場合、非現実的な冗談にして逃げるのだけど、本人としては真っ当な論のつもりだ。
 
しかし、今回はマジメに書こう。
なぜなら、僕は電通を辞めて、現在 sunawachi.com という日本の小さなレザーブランドを集めたオンラインストアを運営しているので、仕事を請ける側から、依頼する機会も持つようになったからだ。
デザイナーに仕事をお願いする時に、僕が気を付けていることはこうだ。

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ツイッターの一四〇字で足りないところを補足する。
 
「僕はこういうことをしようとしています」とまず意図や背景を伝える。
「そのためにこういう○○が要ります」と目的を明確にする。
「見た人にはこういう印象を持ってほしいと思います」と希望を知ってもらう。
「コンセプトは×××なので、こういう点には気を付けてほしいです」と注意点も想定できる範囲で予め示す。
自分の好みの参考イメージがあるなら、方向性として見せる。
 
すると、デザイナーたちは僕の予想を上回るものを作ってみせてくれるのだ。僕はデザイナーではない。だから、デザイナーにデザインの仕事を任せると、ちゃんと成果物を上げてくれる。僕にはどうやったのかわからない方法で成し遂げてくれる。
 
「プロというのは、素人が『それ、どうやったの?』と思えることをする人のことだ」と言ったのは、先輩の田中泰延氏だ。
僕もそうありたいと常々希求している。
 
取引相手とは基本的に対等だ。
僕は初めに言う。
「僕は僕の希望を勝手に言うから、もしも無理な場合や嫌な時は言ってくださいね」
各レザーブランドからしたら、製品を仕入れてくれるスナワチ社は「おカネを払ってくれる」側だからお客様として扱ってくれるかもしれないけど、出来たばかりの独立系オンラインストアがそんなに売りまくる力はないし、そもそも僕はそんなふうに扱われたくはない。
なぜなら、レザー製品は彼らが一つひとつ手でつくり、大量生産ができないため、僕にモノを回してくれるだけでありがたいのだ。
 
会社員を辞めて、当然カネに困ることはある。不安もたんまりある。
しかし、しょーもないストレスは低減したと断言できる。
だって、僕と作ってる人が直接話して、Yes/Noを即断できるのだから。
間に営業もいなければ、物事が決まってから口を出してくる役員もいない。人間が多くなればなるほど、動くカネは大きくなるけど、しょーもな度合は際限なく肥大化する。
そういう中で勝ち上がっていける人もいるけど、僕にはチームプレイというものが昔からダメだったのだ……。
 
僕は広告業界に片足は残している。そんなつもりはなくて、電通を辞める時に過去の制作物や貰ったトロフィーなんかは全部捨ててきたのだけど、たまにこの月刊ショータを読んだ方が「君おもしろい。うちのコピー手伝ってくれ」と依頼してくださる。
そういう方々も大企業ではないから、直接「いいの悪いの」の決断ができて、話が早い。なかなか決まらない時は、もう営業の交渉力が足りないわけでもないし、上司の判断がおかしいわけでもないので、「オレの力不足だ」と、正直に思える。たまに反省する。
 
原則的に、このコラムには旅行記以外で自分のことはなるべく書かないでいた。それなのに、今回は色々書いてしまった。
悩める人に、なんかのヒントになればいいと思ったのだ。
仕事を発注する側の人が、少しでもクリエーティブと呼ばれる人たちの能力を活かしてくれるよう計らって依頼し、導いてくれればいいし、受注する側の人が、あちらの事情や経緯や達成すべき成果に想像力を働かせて才能を発揮してくれればいいと思う。
ストレスではなく、期待という名のプレッシャーを充分に感じて、それを跳ね除ける仕事が為せればいい。
 
しかし、まぁ、なんというか……。徒労感あるよな。
日本人よ。一切ウトゥクシクモかわいくもないくせに、自分がかわいいおっさんらよ。寝ている赤帽のおっちゃんを叩き起こしてでも、オノレだけは怒られたくないサラリーマンよ。
なんかオレ、哀しくなってきちゃったので、小西くん、また呑みながらしょーもな話をして、笑わせてくれよな。

「ウトゥクシク、ナリタイナ」

 ある晩、もう二十三時くらいのことだ。
後輩のアートディレクター(以下、AD)喫煙室に入ってくるなり、イライラした様子で煙草に火を点けて、大きなため息をひとつ吐いた。
「どうした?」
 先輩の僕は一応声をかける。
「もうムチャクチャっすよ。ポスター作ってるんですけどね……」
 彼はあるお菓子メイカーを担当していた。
 
「グレープ味新発売のポスターなんですよ。一番上に『グレープ味新発売!』って書いてあるのに、下の方に丸囲いで『NEW!グレープ味新登場』って入れろって、クライアントが言うんですよ。書いてあるやん! って」
「うん、アホやな」
 
 こんな時間までやっているということは、今日が入稿日で、印刷会社との約束の時間はとっくに過ぎているのだろう。もしかしたら、色校正の段階まで進んでいるのに、色彩や明度とは無関係の修正指示が来たのではないだろうか。
 
 広告業界のデザイナーなら誰でも経験のある腹立ちだろうと思う。
 僕はデザイナーではなく、コピーライターだが、ポスターや新聞広告など平面グラフィックを制作する際は、文字担当のコピーライターと、デザイン担当のアートディレクターやデザイナーと組んで仕事をするものなので、憤りは共有している。
 
 彼は日本最高の芸術大学をトップの成績で卒業して入社してきた人間である。ご想像の通り変わったところのある人間で、少し不遜な性格をしているが、この業界で能力のある人間は大体奇人か不遜か、その両方の資質を兼ね備えているものだ。
 僕は会社を辞める時に、仕事仲間からこう言われた。
「ショータさんは電通(あ、書いてもうた)でやっていくには、心がキレイすぎますよ」
 これはもしかしたら、「あなたはここでは通用しない」という意味の婉曲表現なのかもしれない。しかし、心がキレイで、人を疑うことを知らない僕は、褒め言葉として素直に受け取った。
 仕方ないじゃねえか、オレを育てた親に言ってくれ。
 
 ADの彼は、おそらく物心ついた頃よりデザイン方面に興味を持ち、スポーツもすることなく、大した遊びにも手を出さず、モテもしない青春時代を送ったことだろう。美術館やアート関連の分厚くて高価な本に耽溺し、デザインの腕を磨いて芸大に入り、セオリーを学び、成績を伸ばし、iMacの前や布団の中でデザインとはどういうことなのか考え続け、それで食っていこう、あわよくばそれで何かの役に立とうと思って、就職試験に通り、会社に入ってきたのだ。
 入ったら入ったで、途方もない実力の上司や先輩がたくさんいて、自分に不安を抱きながら、なんとか成果を出さないと、とプレッシャーを感じて仕事に取り組んできたはずだ。何年か経ってどうにか手応えのようなものを感じつつ、三〇才を迎えた春のこと。どこかの文学部出のおっさんに「『グレープ味新登場!』と同じ平面に重複してレイアウトせよ」と言われる。
 
 怒るわな。
 
 僕は能力はないがただ不遜な人間なので遠慮なく書くと、僕が電通を辞めた理由は、その仕事の構造が、「患者の指示に従って治療を行なう医師」のようなものだからだ。そんなものが成立するはずがない。
「手術が必要ですね」
「嫌だ。痛い」
「では、この薬を一日三回飲んでください」
「嫌だ。三回も飲めない」
「では、この強い薬を一回飲んでください」
「嫌だ。ニガい。でも治してや」
「……」
「ほんでな」
「なんでしょう?」
「安せい」
 
 ネットで見た情報で、「デザイナーに最も必要なものとは」という質問に対する現役デザイナーからの答えがこうだった。
「体力」
 付け加えるなら、「耐ストレス性」もあるだろう。体を壊す前に心を壊してしまう人間のなんと多いことか。
僕は心はキレイなのだが、変に強かったので、精神を病むようなことはなかった。ただそこを去ることになった。
 
 音楽でもアート作品でも文学でも、世に出たものは批評の対象となって許されるべきである。
 この前、友人と食事をしていて、僕たちはモーターサイクルで来ていたから、ノンアルコールビールを頼んだ。
 出てきたパッケージを見て僕はのけ反った。

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「何回『ゼロ』、『ノンアルコール』って言うねん!」
 いち、に、さん、し……五回だった。
 しかも、POP(Point of Purchase)のように
「ドライな飲みごたえUP」
クリーミーな泡!」
とまで缶に印刷されている。
「これ、デザイナー泣かせやなぁ」
「仕方なく、入れさせられた感ありますね……」
 僕と、同じ業界の友人にはそれがヒシヒシと伝わってくる。
 デザイナーのため息が聞こえるようだ。
 
 コンビニの限られた棚を奪い合う熾烈な競争は、我々の想像を超えたものなのかもしれない。だから缶がそのままPOPの役割も兼ねる必要があるのだろう。
 それはわかった。しかし……。
 試しにハイネケンでも、クアーズでも検索してパッケージを見てほしい。
 美しいから。何回も同じこと言う電車の車掌みたいな顔つきしていないから。
 
 ウトゥクシイクニ、ニッポン(安倍首相、すみません)。
 
 この国では、デザイナーにはデザイナーとして最高の仕事を求めることはできないのだろうか。
 でも、日本においてはハイネケンよりもスーパードライの方が売れるのだから、誰も疑問は持たないのかな。
 ん? グローバル化ってなんだっけ?
 ※ハイネケンは世界三位であるハイネケン社の代表ブランド。二〇一四年の時点で、アサヒは十位。
 
 アサヒ・ドライゼロだけの問題ではない。これは日本の随所にある「ダサさ」の問題だ。
 

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  こんなもの飲む人間の気が知れない。
 コンビニ店員の声によると、こういうものを買う人のほとんどはすでにデブなのだそうな。そういう何かに頼って楽にヤセようとする心性がデブ特有のものなのだ。
 こんなに大きな「特保マーク」を見たことがあるだろうか。特保マークをデザインしたデザイナー本人ですら「エヘヘッ」って照れ笑いするだろう。
「脂肪の吸収を抑え、排出を増加させる」とは、飲む時点でもうウンコのサイズ感について考えながらよく飲めるな、と僕は思うのだ。まず摂取を抑えろよ。
 なんでも求めようとする強欲ドリンク。
 
 こういうのを飲む人間が、「値引け。安せい。もう一個付けろ。タダで付けろ。ほんで、早く届けろ。送料もタダにせい。指定の時間に一分でも遅れるな」と要求してくる輩なのではないか。
「喰いたい。ガマンしたくない。飲みたい。もっとほしい。なんぼでもほしい。でもヤセたい」と言っているわけなのだから。
 どうなんだい、このデブ野郎!
……もはや誰に怒っているのかすらわからなくなってきた。
 
 ペプシの名誉のために、力強いこちらも載せておこう。
 

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 スーパードライは僕が一番好きなビールの銘柄だ。

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 今さら企業に阿るつもりはなく、本当にそうなのだ。
 
 日本を愛するひとりとして、ジャパン・プロダクツにはカッコよくあってほしいんだ。
 研究するプロ、醸造するプロ、描くプロ、販売するプロ。
 明日こそは、プロがプロの仕事をできますように……。
 
補遺:このコラムは拙著『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな』に収録され、毎日新聞出版から刊行されました。
笑えて泣ける一冊です。

畳と茣蓙と科学的屁理屈

(前回からの続き)ようやく婚約を果たしたユウちゃんの話を聞きながら、浮かない表情の二人がいた。共に独身のアキちゃん(仮名)と滝下(仮名)である。

  • 「どうしたら、そういうことになれるのでしょう……」

人間関係という深遠なものに対する完全な対処法はないけれど、ある程度までは科学の力で補助することは可能であろう。

僕は家に帰ってから、二十年近くも前に米国の大学で使っていた社会学の本を引っぱり出してきた。

教科書のタイトルは、『日常生活の社会学(Sociology in Everyday Life)』という。

 索引を見ながら探すと、あった。

そこには「恋愛の発展へのホイール理論」というものが掲載されている。

ホイールというのは車輪のことで、つまりサイクルのことだが、そこは重要ではないので、四つの段階として説明する。

  • ①Rapport [一致:「いいな」「気が合うな」と思うこと]
  • ②Self-revelation [自己開示:自分について曝すこと]
  • ③Mutual dependency [相互依存:お互いを頼ること]
  • ④Personality need fulfillment [人としてのニーズを満たしてくれること]

 ①は一瞬で決まる。メラヴィアンの法則と言って、人の第一印象は三~五秒の間の一瞬で決まってしまうらしい。確かに、僕は一目惚れ以外はしたことがない。

もう少し猶予を与えるなら、出会ってすぐの表層的な会話によって、「この人、合う」、「合わない」は早い段階で見極められてしまうのだ。

しかも、これは教科書に書いてあることだから本当なのだが、男は女の見た目に重点を置き、性格の判断もそれに引っぱられる。美人に対しては、「性格も良さそうだ」、「これだけ美しい人なら心も美しいはずだ」と勝手にいいように解釈する。

 瞬殺で決まってしまう出会いに関して、あまり言えることはないのだが、ひとつだけ申し上げるなら、「よく見るとブスな一見美人」も「よく見るとかわいいところもある一見ブス」もこの世には無数にいて、これがいないと人類などとっくに滅びている。だから、一見ブスの皆さまにおかれましても、人類の希望を背負ってがんばってほしい。

 さて、③④は本論から外れるので割愛することは先に断っておく。関係ができてからは私の知ったことではない。お互いに依存しようが、ニーズに応えようが応えまいが、私の与り知らぬことなので、勝手にくんずほぐれつ、上になったり下になったりしたらいいのだ。

 ②の自己開示が最も重要である。

要するに「自分が何者で」、「何をしてきて」、「何が好きで、何が嫌いか」を表明しなくては話は進まないということだ。

出会ってすぐの表層的な会話、「どこに住んでるの?」とか「好きな音楽は?」とかいう質問は、相手に自己開示させる手段に他ならない。

だから、飲みに行った先で女性が同席していても、すぐに気配を消してしまう後輩の滝下(仮名)など言語道断なのだ。

かと言って、自分のことばかり喋り続けても、「この人はオノレにしか興味がない人間だ」という情報を与えるだけなので注意が必要だ。

訊かれた質問には真っ直ぐ答えることだ。

勤め先を訊かれて、「ええっ……」などと口ごもる相手は、それにより「あぁ、この人は私とこれ以上関係を深めるつもりは一切ないのだ」というメッセージとして受け取られる。

そして、自己開示には「私はあなたに興味がある」という事実を伝えることも含まれる。これは言語・非言語の伝達があるが、前者はいきなりは難しい。

非言語でもって、すなわち態度や行動で、それを伝える必要がある。

「これが僕の連絡先です」とメモでも渡せば、それで「私はあなたと今後も連絡が取りたい」、「また会いたい」という情報の開示・意思の表明になるだろう。

連絡先を訊く・貰うことが恥ずかしければ、渡せばいいのだ。その方がずっと簡単だ。

 恋愛は市場の法則により動いている。つまり、取り引きだ。何を渡して、何をもらうか。だから、渡さない人は、もらえない。

 ひとつ註釈を挿入すると、結婚してのちのことは市場ではない。

僕の個人的見方だが、「相手に何も求めない。期待しない」という態度が肝要である。

  • 「給料はこれくらい家に入れてほしい」
  • 「掃除洗濯をしてほしい」
  • 「今晩あたり抱いてほしい」

こういった期待をするから裏切られた時に腹が立つ。依頼はしても期待はしない。これに尽きる。

 「人間の間違いってのは、常に期待をして待つことじゃないかな」

これは、宮本輝が書いた言葉だ(『花の降る午後』)。

 さて、ここまでは大体、科学の話であった。

大してモテてこなかった私のような人間が、さも自分の経験的知識の蓄積であるかのようにエラソーに書いてきた。

違うんだ。教科書に書いてあっただけなのだ。

科学的なトレーニングさえすれば、誰でもイチローのようにヒットが量産できるかと言えばそんなわけはないので、科学的知識を踏まえた上で、あとは個人の力量・練度が問われる。

 松井秀喜氏だって、ジャイアンツ選手寮の畳が擦り切れるくらい素振りをしたというではないか(画像はsanspo.comより)。

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 畳といえば、先日友人がこんなことを言った。

  • 「この前ええ言葉聞いてん。『三〇サセごろ、四〇シごろ』なんやて」
  • 「ほぉ」
  • 「女は、三〇はさせてくれーと言われるが、四〇はしてくれーと自分から言うくらいしたいんやて」
  • 「なるほど」
  • 「で、次にな、『五〇茣蓙むしり』と続くんや。ゴザを掻き毟るほどという表現がええな」

彼はぐへへへと笑った。

 まさか「してくれー」と自分では言いにくいだろうが、これも非言語の伝達方法があるはずだ。各個人で研鑽を積んでいただきたい。ヒントはたくさんお教えしたぞ。

あとは「ルールブック」を再読してほしい。

なんなら、こちらも合わせて読まれたし:

2007年12月号「まだ見ぬ娘への十箇条(続き)

 

アメリカの大学で学んだことが、「どうしたらいいのか……」というアキちゃん(仮名)の役に立ったら光栄である。それとも、毎度のように屁理屈だっただろうか。

「えー、『とにかく彼氏ほしい!』とかけまして、アメリカの大学と解く」

「その心は?」

「簡単に入れます」

「ヤマダくん、彼女にゴザ一枚」

「スタンプカードが一杯になったようなのだ」

コラムに二度登場いただいているユウちゃん(仮名)である。
初めに書いたのは、二〇一四年五月号「ルールブック、読んだか?」の中だった。その続報として、翌年六月にまた書いた。
私は、彼女のいじらしくて切ない恋の行方を静かに見守っていた。
二十九才だったユウちゃんは、三十一才になっている。
それらコラムをお読みいただき、ルールブックなるものの存在を心に刻みつけてくださった皆さんにご報告申し上げる。
ユウちゃんはついに婚約した。
私は、ルールブックを携えて、再び追跡調査に乗り出した。彼女をランチに呼び出し、ユウちゃんの同僚女性と、前回もいた後輩の滝下(仮名)を連れて、評判のカレー屋さんのテーブルについた。
事の経緯はこういうことだった。以下、多少の脚色を交えて述べる。
先月、ユウちゃんが、彼氏と観た映画では、素敵な夫婦像が描かれていた。
帰宅後、彼女は彼にメッセージを送った。
    「あんなふうなら、結婚ていいよね」
彼女は二人の関係において、初めて「結婚」という言葉を持ち出したのだ。
思い出してほしい。車中での沈黙の中、はたまた、大西洋を望むビーチで波の音だけを聞きながら、彼女がそれを待ち、そして彼に問うてみたい自分を抑制したことを。
    「結婚ね……。うん、ちゃんと考えてるから」
彼氏の返信は、ユウちゃんの胸の蕾を温かく緩ませるものだった。
二人はその後、彼の先輩と三人で食事に行った。先輩は相変わらずな二人を前に言った。
    「君たちはいつ結婚するんや?」
私自身は彼氏と面識はないが、この二人を見ていたら、その先輩でなくてもそのように直截に訊きたくなるだろう。
彼氏は狼狽えながらも、先輩の手前、先日のメッセージでの言質を繰り返した。
    「はい、ちゃんと考えています」 「いつ言うんや?」
先輩も、ユウちゃんを前にしてなかなかやるものである。一歩踏み込んだ。
    「えぇ……と、来月には」
見たことはない彼氏の困った表情と、額の汗が目に浮かぶようだ。
    「何日や?」
せ、先輩、やるぅ!
    「じゃ、じゃあ、十四日に」
突然降ってきては具体化する結婚のイメージに、ユウちゃんの瞠目は想像に容易い。
しかし、ここまで聞いて、私は一旦彼女を遮った。
    「ちょっと待て。なんやそのママゴトは」
もう言うとるやないか。結婚すんねやないか。その「十四日」はなんやねん。そこまで待たなあかんのか。
    「ええ、そうなんですけど……『ホワイトデイだから』って言うんです」
ロマンチックというのか、律儀というのか、その割にこれまでの鈍感さはなんなのか。
大体ホワイトデイというのは捏造で、アメリカにおいて「ホワイトデイ」なるものを制定したら、町々で暴動が起きるんだぞ。
ユウちゃんはその先を継いだ。もう先はわかっているのだが、一応、「姫は王子様と結ばれて幸せに暮らしましたとさ」となるまで、ガマンして聞いてほしい。
当日、二人は食事に行った。
    「彼がカジュアルな格好で来たから、『えっ? 違うのかしら』と思ったんです」
なんやそれ。ここから、「な」と打つと「なんやそれ」と出るほど、頻繁に登場するが、やはりガマンしてほしい。
    「ちょっとトイレ行ってくる」
彼が途中で席を立ち、少し汗を浮かべて帰って来たのを見て、ユウちゃんは「お腹の具合でも悪いのかしら。じゃあ今日はいいか……」と半分諦めた。胸の蕾がまたキュッと萎むのを感じた。
デザートを頼んだが、「少々時間がかかるので、お庭でもご覧になってはいかがですか?」と言う店員に促されて、二人はしばらく歩いた。
中庭には、ガラス張りの建物があった。
    「入ってみよう」 「でも、勝手に入っていいのかな」 「いいから。俺、オシッコしたいし」
な(自動変換)
そこはチャペルだった。
一度は萎んだ蕾が再び色を染めた。
奥の台には、花束があった。彼はそれに歩み寄ると、手にして戻ってきた。
    「結婚してください。きっと幸せにします」
な(だけど、オレはちょっと涙ぐんでいる)
彼氏の、これまでに見たこともないような緊張した面持ちが、ユウちゃんは嬉しかったという。
    「はい、もちろんです」
深く安堵した彼氏は、
    「ちょっと、本当にオシッコ行ってくる」 と言って、トイレに消えたそうだ。
一度目に「トイレ」と言った際に駐車場まで走って、花束を台に置いて、席に戻ってきたということだ。
その晩、ユウちゃんはしとどに濡れて乱れ咲いた花弁の奥で怯えたように震える芯を、彼のオシベが屹立する叢に擦り付けるようにして、未だかつて経験したことのない高みに昇りつめたのであった。
これがユウちゃんが語った事の全貌だ。先に断ったように、多少の脚色を交えた。
すっかりカレーを食べ終えた私たちは、ひとつ疑問を呈した。
    「そないに緊張するか? 単願受験の中学生ですらそないに緊張せえへんぞ」
私自身はどうだったかって? もう十年も前の話だ。
私は、「ショータご結婚優待券」というものを印刷して、相手に書留で送りつけたような無粋な人間だ。裏には【ご使用にあたってのご注意点】として、
  • ・ご本人様のみ一回限り有効です。
  • ・お申込後のキャンセルはお受けいたしかねます。
  • ・他人への譲渡・換金はできません。
  • ジョージ・クルーニーとの交換はできません。
  • ・ご辞退された場合、他の候補を改めて決定することになりますが、しばらく落ち込みます。
  • ・お金持ちになる見込みは全くございません。
  • と記載してあった。
もちろん、断られることなど想定していなかった。
はたと思うに、ユウちゃんの彼氏を、純粋な青年と評価していいのか、もしかすると、あえて口にするなら、人の気持ちがわからないアスペルガー的な人間なのではないか。そんな危惧する気持ちすら湧き起こるのである。
もしかしたら、今後も言うべきことを口にしないで、勝手に借金こさえて苦しむような夫になりはしないだろうか。オシベとメシベを擦り合わせた結実として、小さな果実を得た時に、ちゃんと父親としての役目を果たすだろうか。
そんな私の知ったことではない先のこと以前に、現在においても、まったく独りよがりな交接を繰り返しては、即座に背を向けて眠りこけるような御仁ではないだろうか。
ユウちゃんは全然気持ちよくない所をグイグイ擦られていないだろうか。
心配でならない。
そんな時はまた相談してくれることを願う。相談は具体的であれば、具体的であるほどよいぞ。
こうして、めでたくスタンプカードを一杯にしたユウちゃんである。
ところが、晴れない表情の者たちがそこには同席していた。
三十三才になる同僚のアキちゃん(仮名)と、後輩の滝下(仮名)という独身の男女二人である。
アキちゃんは嘆息と共につぶやいた。
    「どうしたら、そういうことになれるのでしょう……」
つづく

「カウボーイハットの内側に」

■「ハーブという男」篇

十五年近く勤めた広告会社を辞めて、ひと夏の間、カナダにてカウボーイをして過ごすことにした。今はもうすでに帰国して、三ヶ月が経ったところだ。

僕がお世話になったキング牧場は、ハーブという六六才(当時)の男と、その息子のケヴィンという前号で書いたカウボーイたちによって営まれている。ケヴィンの子供たちを含めて、つまり三世代がそこに住んでいる。

牧場の所有地と借地を合わせて東京ドーム八〇〇個分。そのわけのわからない広さを、男手二つで管理しているのだから、忙しくないわけがない。本当に毎日よく働いた。

仕事で使うピックアップトラックはフォードのスーパーデューティーという車種で、「キング牧場限定版」だ。後ろに「KING RANCH EST. 1853」というエンブレムがある。「すげえな」と思っていたら、実際はこのキング牧場のことではなく、テキサスにある世界最大規模を誇った有名な牧場とのコラボ版だった。

僕がいた方のキング牧場は、一九〇三年の開業だ。それでも立派なことだ。

始めたのはハーブの妻イーディスのおじいさん。彼女の旧姓がモットといったので、当時はモット牧場だった。

ハーブとイーディスは一学年違いの小学校の同窓生だ。ハーブと結婚して、彼が継いだ時に名前をキング牧場に変えたようだ。この牧場の近辺にはコープが一軒あるだけで、工具や機械部品、アウトドア用品、食料品などを扱っている。二人の結婚パーティーでみんながダンスをしている最中に、そのコープに強盗が入ったという。

ハーブはハーバートの愛称だ。目も体も丸い。ある時、キッチンを白いブリーフ一枚でウロウロしている姿を見たら、まるで球体のようだった。しかし、筋肉でガッシリとした印象だ。

ハーブとイーディスというやさしい夫婦から、どうしてケヴィンのような荒くれ者が生まれたのか不思議なほど、二人は親切な人たちだった。

僕は今でも感謝してやまない。

「カウボーイのことを知りたい」と押しかけて来たこの日本人に対して、ハーブはいつもあれこれ教えてくれたり、見せてくれたり、話してくれた。いや、正確に言えば、不器用ながら、そうしようと努めてくれていたことが僕にはわかった。

彼は、穀物を収穫する巨大なコンバインに乗せてくれたり、馬にサドルを取り付ける順序を見せてくれたり、牛が一頭どれくらいの価格で売れるものなのか昨年の領収書まで見せてくれたりした。

新しく教わった仕事がなかなか複雑で、僕が「覚えることが多いですね」と、ため息をつくと、僕のカウボーイハットを指さして、

「このハットの内側のモノを使うのだぞ」 とニヤリとした。

ラクターのグラッポー(ツメ)を使って大きな鉄の柵を撤去する時に、彼は僕にこう言った。

「危ないから離れておけ。死んだらゲームオーヴァーだ」

そしてこう続けた。

「そしたらもう、心配事も心の痛みもなくなるぞ」

彼独特のユーモアなんだけど、僕はハッとさせられた。こういう生活にも心配事は尽きないのだろうし、彼にはどういう悩みがあるのだろう……と。

ある日、牧草地に出たら雨が降ってきて、僕たちはトラクターの中で雨宿りをしていた。「今日は無理だな」ということで迎えを待っていた。トラクターは時速四〇キロがせいぜいだから、明日のためにもそこに置いて帰るのだ。

「日本には引退制度はあるのか?」

唐突に彼が訊いてきた。僕は年金のことと理解して、「あります」と答えた。

「そうか、こちらでは六五才だが、最近は六五で引退しても人は生きていけないよな。そのうち七〇に延長されるだろう」

「引退について考えますか?」

「ケヴィンがここを継いでいなかったら、牧場を売ってのんびり釣りでもしていたかもしれないなぁ」

彼は釣りが大好きだった。

「私はまともな教育を受けていないから、今さら他にやりたいことなどない」 と、彼は言ってから、すぐに訂正した。 「いや、他に何ができるというのだ。コンピューターを使った仕事なんて、今から学んでも、覚えた頃には本当に引退する年になっちまう」

僕は、この仕事、この生き方しか知らないハーブの心の裡に触れたようで、少し哀しいものを感じたが、それ以上に、それを吐露してくれたことがなんだかうれしかった。

誰だって、自分以外の人生のことなど知る術はない。

ちょっと照れくさいのだが正直に言うと、僕は彼に父を見ていた。

僕の父親は、ハーブの年齢である六六才でこの世を去った。僕の父はあまり自分のことを語らなかったので、亡くしてから十年近く経った今でも僕は、「親父は一体どういう人間だったのだろう」と時折わからなくなる時がある。

わかっていることはとにかく頭脳明晰で、心が強靭だった。善かれ悪しかれ、自分の考えに沿って生きた人だった。と、これすらも真実かどうかはわからないのだけれど。

親父と酒を飲んだことは一度もない。彼はほとんど飲まなかったからだ。

だから、ハーブがウォッカとトマトジュースとソースなどを出してきて、「シーザー飲むか?」と訊いた時は、必ず「はい」と答えた。シーザーとは、ブラッディメアリーのことだ。

「うまいですね」

「うん、日本でも作れ」

ウィスキーはクラウンロイヤルという銘柄だった。それもよく飲んだ。カナダのウィスキーは、ケンタッキーバーボンとは違う、クセのないスムーズな味わいだ。

大きなボトルを買うと、小さなサンプルがオマケで付いてくることがあったようで、ハーブはそれを五つほど掴んで、「持って帰れ」と僕にくれた。

ケヴィンは前号で書いた通り、様々なピンチの際に颯爽と現れて僕を救援してくれたのだが、教えてくれるという感じとはまた違った。

「あの草の名前は何と言うのですか?」

「スルーグラス」

「スルー……。それはどういう綴りですか?」

「SLO...ナントカだ」

また別のある日、 「これは何という機械ですか?」

「オウガー」

「それはどう綴るのですか?」

「O、いや、AU...ナントカだ」

こういう時、僕は大体夕食の時にハーブとイーディスに問い直した。正解は、「Slough grass」、「Auger」だった。ケヴィン、単語テストみたいな質問ばかりして申し訳なかった。

僕はおよそ三ヶ月を牧場で過ごすために来たのだが、そこを去る日は決めていなかった。ひと月くらいたって、そろそろ先方の都合もあるから決めなくてはと思っていたので、イーディスに尋ねた。

「十月の初め頃は何か予定のある日はありますか?」 「んー、二日がハーブの誕生日よ」

ハーブの誕生日を前に、ここを出るわけにはいかない。僕はその翌日をお別れの日にした。

いよいよ最後の晩になった時、僕のお別れとハーブの誕生日を兼ねて、ジェイク一家(前々号参照)や、彼のいる牧場の牧場主たちまで集まってくれてパーティーを開いてもらった。

僕はハーブにフラスコを贈った。ウィスキーを入れてクピッとやるアレだ。 釣りの時にチビチビやってもらえたらいいと思ったのだ。

ジェイク、ケヴィン、ハーブという三人のカウボーイたちのおかげで、僕にとって忘れられない夏となった。この男たちが教えてくれたこと、見せてくれた心意気は、僕は胸の中で死ぬまで大切にする。カウボーイハットの内側に刻みつけておく。

今はもう冬になり、彼の地はマイナス三〇度とか、想像を絶する極寒だという。 僕にはなんだか雪一面の牧場は想像し難くて、思い馳せれば、ポコポコと浮かんだ綿雲の空の下、馬を駆るカウボーイたちが今日も黙々と働いているのであった。