月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「六〇〇マイルって言われてもわかんないよ(NYC篇)」

シアトルを出発して五日目。ドライブのゴールである、ケンタッキー州ボウリング・グリーンを目指して、セントルイスを朝七時過ぎに後にする。
インターステイト六十四号を東へ進み、イリノイ州の南部を横切り、インディアナ州エバンズビルを抜けて、ケンタッキー州へ。そして、ウィリアム・ナッチャー・パークウェイを約六〇マイル走るとボウリング・グリーンに着く。
  • 【ケンタッキー】
昼過ぎには、懐かしい大学のキャンパスが見えて来た。この日の走行距離は三四一マイル。それまでの日々に比べればなんてこともない。それでも、キロに直してみれば五四五キロだから、東京大阪間くらいの距離は行っていることになる。恐ろしいもので、それくらいは文字通り「昼飯前」に走破してしまったわけだ。
ボウリング・グリーンは、僕が大学を出た町で、人口およそ五万四千人の小さな町だ。いや、ケンタッキーの中では、中ぐらいの町だと思う。
アメリカでは小さな町を「one horse town」と言う表現がある。「馬が一頭しかいない町」という意味だ。現代なら「ワン・マクドナルド・タウン」とでも呼びたくなるような本当に小さな町は他にいくらでも見てきた。
ボウリング・グリーンには大学があり、そこにはフルタイム、パートタイム、大学院生を含めて約二万人弱の生徒がいる。その内の何人がボウリング・グリーンの人口と重複するのかは不明だが、学期中には人口にプラス一、二万人の人々がそこで暮らしていると考えていい。
僕と旅の相棒である神市(仮名)がそこを訪れたのは八月の後半で、まだ夏休みの期間にあたる。ぼちぼち生徒が地元から戻ってくる頃ではあるが、大学のブックストア(教科書の他に、文房具や大学のグッズを売る店。日本では生協というのだろうか)は午後四時に閉まってしまうため、母校再訪の記念品を買いにまず向かった。
  • 全く、URLをご紹介するほどの大学ではないが、雰囲気を知りたい方のために:
  • http://www.wku.edu/
来る度にいつもTシャツなどを買うのだが、久々に訪れた母校のグッズの充実ぶりに驚いた。シャツ、スウェット、キャップなどのアメリカ人学生御用達のアパレルは言うまでもないが、ボール、タオル、ヘッドカバー、マークなどのゴルフ関連用品、自動車の窓に貼るステッカー、子供服、パソコン周辺グッズ、ピンズ、ネックストラップ、バックパック、グラスやマグ、大学キャラクターのぬいぐるみなどなど。思わずお土産も含めてあれこれと買い込んでしまった。
日本の学生が自分の大学のシャツを着る機会なんて、スポーツの応援か部屋着か冗談か、くらいのもんかもしれないが、アメリカでは皆誇らしげに着ている。その日もレジに並ぶかわいい女子学生がちゃんと大学のTシャツを着ていた。
地元のスポーツチームとか、町の名前の入ったシャツや帽子も、身に付ける人は多い。その延長上に国旗があり、愛国の精神がある。それなのに自分の勤める会社はどうなのだろう。少しでもいい条件を求めて転職が繰り返されるというけれど……。よくわからん。
親友のロブとは、いきつけのメキシカンレストランで待ち合わせ。買い物し過ぎてやや遅れて行くと、彼はすでに着いていた。
ロブ! 四年前に会った時はその太り方に驚いたのに、今回はハゲてるやないか! ハゲでデブでメガネになってるやないかー。
白人は年を取るのが早い。同い年なのだが、絶対僕の方が若く見える自信がある。のちに、そのことについて、今年の春に彼の妻となったアビーと話したが、アジア人は体が細いし、肌の肌理が細かいから年を取っても若く見えるそうなのだ。
ロブはケンタッキー出身ではないため南部訛りもないし、比較的きれいな英語をはっきりと話す。だから、神市(仮名)も、会話に困ることが少ない。話し方というのは、その人の教養レベルを如実に表す。日本でも昼間から立ち飲み屋で呑んでるおっさんが何言ってるのかよーわからんのと同じだ。
でも、外国人同士だと話は別だ。神市(仮名)がメキシコ人のウェイターに「コカコーラ」と注文すると、彼はわかったようなわからんような顔で奥に引っ込んでいった。
しばらくして、「ウォーター」を手に戻って来たウェイターを見て、ロブが大笑いしていた。
「次はただ『コーク』って注文するといいよ」とのこと。
「コーラ」と「ウォーター」。うーん、惜しいね。
ロブと一緒にいたおよそ丸一日の間に英語の俗語もいくつか教わった。日本の女性誌ではちょくちょく登場しているらしい「クーガー(日本ではクーガー女)」という表現も、僕はここで初めて知った。自動車の運転席以外の天井に付いているハンドルは「オー・シット・ハンドル」と言うとのこと。急カーブや衝突しそうな時に、「Oh, shit!」と叫びながら掴まるハンドルだからだ。以前に書いたかもしれないが、男性のお腹周辺に付く贅肉は「love handle」。女性が腕を廻してちょうど掴みやすいからだ。
「Oh, shit handle」と「love handle」の二つのハンドル。試験には出ないが覚えておこう。
メキシカンフードはおいしいのだが、夕方には元ルームメイトのブライアンも加わって夕食に行くから、僕はあえて全部食べないようにセーブしていた。アメリカのメシの量を甘く見てはいけない。神市にもその旨伝えてあったのだが、彼は結局出て来た食事は完食していた。
「米に飢えてました」とのこと。メキシコ料理に大抵付いてくるフライドライス(ピラフ)が止まらなかったようだ。
腹ごなしのために、公園に行って三人でフットボールを投げ合う。ロブが仕事で扱っている噛みタバコを噛んで、茶色いツバをビュッと吐きながら。噛みタバコというのは、佃煮みたいな色をした、タバコの葉を刻んでフレイバーがつけられたものを、口の中で丸めて歯茎と唇の裏の間に挟み込む。そして、モグモグしながら、出てくる汁を味わうのだ。そのジュースは体に安全ではないから、吐き出す。ニコチンは口内の粘膜から直接吸収される。煙はないからタールはない。とてもアメリカンな気分を味わえる。ただし、神市はアメリカンな気分はお口に合わなかったようで、「オェ〜!」と、タバコはすぐに吐き出していた。
新しくボウリング・グリーンにやってきたマイナーリーグの球場も見に行った。ボウリング・グリーン・ホットロッズという野球チームだ。
前述のように、ミズーリ州にはロイヤルズとカージナルスという二つの球団があるのに、ケンタッキーにはない。野球に限らず、バスケのもフットボールのもホッケーのプロチームすらもない。マイナーリーグとはいえ、やっと出来たチームを応援するために、僕はオフィシャルショップで帽子を買った。
マリナーズのセーフコフィールドを見た後では、マイナーリーグの球場などかわいいものなのだが、ここで地元の人々が健気に声援を送り、子供連れの家族が平和な週末を過ごす様子なんかを想像すると、チームが末永く愛されんことを祈らずにいられない。
映画自体はアイオワ州の話だが、「フィールド・オブ・ドリームス」が思い出される。
夜はブライアンも交えてクラッカーバレルという、南部のカントリーフードを出すチェーンレストランで夕食。当時は太っていたブライアンが、ロブとは対照的に痩せていて、危うく見過ごすところだった。食事の後はブライアンの家に行って、その日何針か縫うケガをして食事に来られなかった息子のマイカと、奥さんのジェニーと娘のオリビア、それから心配して駆け付けていたジェニーの両親にご挨拶。
僕はその日はすでに食べ過ぎで、あとはビール以外何も入らない状態だったのだが、ロブは自宅への帰り道に寄ったウォルマートでスニッカーズを買って食べていた。正直、三十代になって、普段の日にスニッカーズは食べられない。僕は、スニッカーズは登山に行く際に食糧として持って行くくらいだ……。遭難しても一日生きられるくらいのカロリーがあるだろう。
人間、理由もなく太らないということだ。
ロブはケンタッキー出身でもないので、いつこの地を離れてもいいはずだし、彼自身もそういうつもりだったろうが、なんとなくここに居着いている。家も奥さんと共同で購入していた。深夜までその家でビールを飲んで、短い再会の時間を惜しんだ。
翌朝は、車で一時間半南に下ったテネシー州ナッシュビルに向かう。国内線の飛行機に乗って最終地であるニューヨークシティに行くのだ。ロブが夫婦でわざわざ空港まで付き合って、見送りに来てくれた。僕はロブたちと小さなワーゲンゴルフに乗り、神市が一人で大きなトヨタハイランダーを運転。
空港で、ついにハイランダーはお役御免。総走行距離は、二七六八マイル(四四二八キロ)となった。ご苦労さまでした。
サウスダコタでの豪雨であまりに汚れたので、ボウリング・グリーンに到着した際に一度洗車していた。ロブは「レンタカーなのに」と不思議そうに眺めていたが、慰労と感謝を込めて、僕は洗わずにいられなかったのだ。借りたものはキレイにして返したい、日本人の美学じゃ。そういう細やかな心遣いはアメリカ人には分かるまい。
空港でゆっくり朝食を摂り、ビッグなロブ夫婦とビッグなハグを交わして別れた。一日だけだったが、それ以上に長い時間を一緒に過ごせたような気分だった。また会おう、マイ・ビッグ・アメリカン・ブラザー。
飛行機のゲートに行くと、整備不良だかで大幅に遅れるとのこと。だから、僕と神市はそばにあったシガーラウンジでのんびり葉巻でも燻らせて待つことにした。最近タバコは控えているのだが、葉巻は紙タバコとは別物だ。イライラな待ち時間を、ゆったり余裕のエクストラタイムに変えるアイテムだ。
二、三十分経っただろうか。出発していく便については放送が流れるからそれさえ聞いておけば大丈夫だ。一本吸って、なにげなく外に出て、ゲートをチェック。
ん? 誰もいない。なぜ?
係員に訊いてみると、飛行機は今出て行くところだと言う。ちょっと待てー! 何も放送されてなかったやんか!
僕は慌ててラウンジに戻り、寝ていた神市を叩き起こし、荷物を引っ掴んで走った。すでに、出入り口にコネクトされていた通路が切り離され、機体が動き出す寸前だったようだが、通路を再び戻して、半ば無理矢理乗せてもらった。日本ではあり得ない対応だろう。
  • 「シガーラウンジにいたんだ」と、女性係員に言うと、
  • 「それが間違いよ」と、にべもない。
これも日本ではあり得ない対応か。ちょっとカチンと来たので、「何の放送もなかったじゃないか」と食って掛かろうかと思ったが、そんな場合でもないのでグッと堪える。こうして、すんでのところで逃しかけたニューヨーク行きの飛行機に乗り込んだ。
  • 【ニューヨークシティ】
JFケネディー空港では、迎えに来てくれた弟とすぐに会うことができた。僕の弟については、〇六年六月号をご参照。アメリカ生活十四年。グチャグチャな人生を、なんとかサバイブしているタフな男だ。そんな弟が住むニューヨークシティという街も、とんでもなくグチャグチャだ。clutter(混沌)な街に、chaos(無秩序)な人々が、mayhem(混乱)な暮らしをしている。そんな単語ばかりが頭に浮かぶ。
信号が変わって始動が少しでも遅れた車は後続のクラクションを喰らう。歩行者も信号を無視して歩道を渡る。そこに車がブレーキもかけずに猛スピードで突っ込んでくる。タクシードライバーと思しきパキスタン人の男が、信号待ちの車にいる婦人を「事故起こしてぇのか、ビッチ!」と面罵している。きっと婦人が何かミスったのだろう。
地下鉄に乗れば、黒人のおばちゃんが大声でジーザスを称える演説をしている。やがて、手を叩きながらゴスペルを朗々と歌い出す。周りの人は迷惑そうに無視を決め込んでいるが、唄はなかなか見事なもので、あのリズム感はタダ者ではない。
九番街では、ゲイのカップルがキスをしている。
五番街では、UHA(United Homeless Association)とかいう団体のおっさんが寅さんのような口上で通行人から寄付を募っている。
  • 「さぁ、あなたのちょっとの寄付で世界が変わるんだ」
  • 「そこのあなた、変革を起こそうじゃないか」
でも、弟に言わせると、「インチキだからカネなんか出すな」。
道端ではアフリカ人が、一体ひとつでも売れるのか? というような偽物のバッグを売っている。お馴染みの「I Love NY」Tシャツもあちこちの路上で売られている。誰がどこでどれくらい作っとんねん。僕には、ニューヨークを愛することはできそうにない。それでも、訪問は六回目になる。奇妙な魅力というか、人を惹き付ける魔力があることは否定しない。
ニューヨークの初日の晩は弟とその彼女と四人で過ごした。クイーンズにある彼のアパートで三匹の猫と戯れた。半年ほど前に彼が拾ってきた仔猫ちゃんたちだ。口は悪いが心根はやさしい男である。
弟は現在、看板やサインや名刺などをデザインする会社で働いている。以前にしていた貿易会社の倉庫番から転職したくて、飛び込みで「俺を雇ってくれないか」と交渉したそうだ。イタリア系の経営者に「では、ちょっとやってみろ」と腕前を試された結果、即採用となった。彼は全米屈指のアート大学院にトップの成績で入学したくらいなので(後に中退)、そのあたりは腕に覚えがある。
しばらくは機嫌良く働いていたようだが、最近は独立を目論んでいる。曰く、「イタリア系はウソ、ウソ、ウソばっっっかだ」。イタリア系は血族を重んじるというが、シシリー出身の経営者も例外ではなく、親族ばかり優遇し、一日携帯をいじって遊んでるようなヤツが、親族というだけで待遇が弟よりも良かったりする。
しかも、社員のタイムカードをごまかして残業代を払わないくせに、自分はポルシェなどの高級車を何台も所有し、「次はマセラッティがほしいな」とか言っているとのこと。シシリーマフィアとの繋がりを仄めかしたりもするが、弟は「ありゃハッタリだな。きっと関係ないぜ」と信じていない……。
マンハッタンのダウンタウンには、リトルイタリーとチャイナタウンが隣り合って存在している。ウソばっかりのイタリア系と、ウソにかけてはUWF世界王者(註)に君臨している中国系がそこで蠢動しているわけだ。
  • 註:UWF=Usotsuki World Federation
僕と神市は、ニューヨーク二日目にそこを歩いた。中国人が大勢で様々な物を売り付けようと話しかけてくる。偽物のDVD、偽物の時計、偽物のあらゆる物……。なぜかこんな路上でミドリ亀まで売っている。唯一の本物か。
「そんな中国人には一銭も払ったらん!」と、昼食はイタリア街で摂ることにした。パスタとピザは、さすがの味だった。昼間からビールまで飲んで気分がいい。
あぁ、お金さえあれば、ずっと旅を続けていたい。
人生の楽しみ方について考える。
自由の女神がいるリバティー島へ渡るフェリーの上には、世界中からの観光客がいる。ちょい悪のイタリアおやじが、娘ほども年の離れたセクシーねーちゃんを連れている。有名な美術館、MOMA(The Museum Of Modern Art)でも、同じように若いねーちゃんといるちょい悪イタリア人を見かけた。ウソとハッタリで世俗と渡り合い、うまいメシと酒を喰らって、若いねーちゃんと遊ぶ(あ、僕としては、そない若くないのもアリです)。悔しいが、イタリア人は人生の楽しみ方を知っているようだ。
イタリア系に混じって働いてきたからか、弟は言う。
「世の中は、正直者がバカを見る仕組みになっている。だから、インチキをしてでもうまくやる方がいいに決まってる」
生き方について、兄貴面して説くつもりはないから、僕は黙って聞いていたのだが、僕自身はこう思う。
「色んな生き方や考え方があるが、結局人は、自分が心地いい道しか選べない。インチキしてもほしいものを得るのが心地いいならそうするし、正直に貧乏くじを引く方が自分の気持ちとしてマシに思えるならそうするのだろう」
だから、自分で自分を許せる方を選択して生きてほしい。
二日目の晩、つまり、旅の最後の晩は、四人で中華料理屋に行き、小龍包を食べた。手持ちの残金は少なかったが、あとは翌日帰国便に乗るだけだし、腹一杯食べた。
あ、結局、中国人にもカネを遣ってしまったじゃないか。
「では、元気で」
およそ三年ぶりに会った肉親と、握手をして地下鉄の駅で別れた。晩夏のマンハッタンは、湿気を帯びた空気が淀んでいて、これまで通過してきたどの街よりも蒸し暑かった。林立するビルと大量のゴミに紛れて、大勢の人間が何かを期待して忙しなく生きている。
無視し合って、罵り合って、横目で警戒し合って、そして、ビジネスして、買い物して、グラスを掲げて、セックスして……。
同じような匂いを放って淀む大阪で、僕もその一人として人生の続きを生きようか。さて、帰ろう。
既婚の男二人がいい旅をさせてもらった。それぞれの妻に感謝。旅行者に親切なアメリカに感謝。走りまくったトヨタハイランダーに感謝。相棒の神市に感謝。アカデミー賞獲ったかのように、みんなに感謝を。
(了)
長いシリーズにお付き合いいただきまして、ありがとうございました。三回くらいに分けるつもりが、書き始めたら止まらなくて結局五回になりました……。みなさんの人生にも、素敵な旅を。

「六〇〇マイルって言われてもわかんないよ(ミズーリ篇)」

僕も知らなかったのだが、カンザスシティというのはカンザス州にではなく、ミズーリ州に属している。シアトルを発って四日目のこの日、僕と後輩の神市(仮名)は、およそ二五〇マイル(四〇〇キロ)先のカンザスシティを目指す。
ここでひとつ訂正。昨晩泊まった町はSioux Cityというのだが、読み方のわからなかった僕は「シオウ・シティ」と表記した。しかし、改めて調べてみると「スー・シティ」というらしい。スーは、インディアンのスー族のスーだ。そういえば、地図を見ていると「インディアン居留地」と書かれた、色分けされたエリアをいくつか見つけた。僕らがこれまで通って来たワイオミング州サウスダコタ州の荒野は、確かに、遠くの方を馬に跨がったインディアンが土埃を舞い上げて駆け抜けて行きそうな、凛とした厳しさを感じさせる土地だった。
途中途中に現れる、工事のための車線規制に少々閉口しながらも黙々と運転する。並べられたオレンジ色のコーンに誘導されて行くと、対向車線の二車線を臨時の片側一車線道路にしている。だから、対向車とはすぐ間近をすれ違うことになる。そこでドデカいコンボイやタイヤを十六個も付けたような貨物車(sixteenwheelerという)とすれ違う時の恐怖。
どうしたって体がこわばるし、神経を遣う。
途中のレストエリアでフットボールを投げて運動をする。昨日も少し投げたからすでに肩が軽く筋肉痛だ。草むらに足を踏み入れてみると、何かが僕の足下を中心に放射状にブワッと飛んでいく。
バッタだ。何千匹、何万匹というバッタが草むらに隠れて、この夏を楽しんでいたのだ。僕らがボールを追って移動するその度に、ブワッ、ブワッとバッタたちが逃げ惑う。神市(仮名)がふざけて草むらを真っ直ぐに突っ切って走ると、まるでモーゼのようにバッタの波が割れる。珍しい光景だが、気持ちのいいものではない。ビョーンと跳ねる生き物は、どっちに来るかわからないからだろうか、なんだか気味が悪い。
カンザスシティは、「カンザス」という語感から田舎町をイメージしていたが、想像していたよりもずっと洗練された都会だった。前述の通り、カンザス州にはないのだが、僕にはカンザスという響きから連想できるものはオズの魔法使いくらいしかなかった。
カンザスシティでは一路、ネルソン・アトキンス美術館を目指す。ここは道中で唯一、神市が行きたがった場所だ。出発地のシアトルや、マリナーズ観戦、モンタナ州イエローストーン国立公園、ベアトゥースバイウェイ、マウント・ラシュモアなど、これまでに立ち寄ったポイントは全て僕の希望だった。これは僕が先輩風を吹かせて決めたわけではなく、単に僕の方がアメリカに関する知識があったから、神市は任せてくれたわけだ。
ただひとつ、ネルソン・アトキンス美術館だけは行きたいというから、僕たちはそこに寄れるコース取りと時間配分をした。
ガイドブックによると、ネルソン・アトキンス美術館は、地元紙の創設者であるウィリアム・R・ネルソン氏と、美術館建設のために自らの土地を提供したメアリー・M・アトキンス氏の力によって創設された。旧館には、ヨーロッパやアジアの絵画や彫刻が多数展示されていて高い評価を得ているとのこと。
しかし、神市のお目当ては、現代美術の展示や、イサムノグチ氏の彫刻作品が展示されてる新館の方だ。完成した二〇〇七年には、「アメリカで最も美しい建築物」として賞を受賞したという。
つまり、僕らはこの旅で「アメリカで最も美しい道」と「アメリカで最も美しい建築物」に触れるという稀有な経験をさせてもらったことになる。なんて贅沢な。
入館するなり神市は驚嘆しっぱなしで、「すげえ」「うわぁ、なんだこれは」「ここ、最高……」などと嘆息しながら、建物の隅々をカメラに収めて回っている。
建築に造詣は深くないし、ほとんど興味を持ったこともない僕は、そんな彼のあとに続いて歩いた。
以前に、僕が初めてスウェーデンに行く前に、そこを訪れたことのある神市が、大切な情報をそっと教えてくれるように、これだけは見ておくべきというところをオススメしてきたことがある。
  • スウェーデン行ったら、是非、うなじを見てきてください。金髪のうなじを……」
  • 「なんでやねん」
  • 「いやいや、是非、うなじだけは」
僕は全然うなじフェチでもないので、「うぶ毛が、もう……」などとハァハァ言いながら説明する彼の熱心さは全く共有することができなくて、逆に申し訳ない気持ちすらしたものだ。
「この階段!」などと感動している彼の後ろ姿を見て、あの時のことを思い出した。
とはいえ、僕も来てよかったと思うし、神市といなければこういう場所を訪れることもなかったはずなので、新しい経験をもたらしてくれたことにとても感謝している。
こういう立派な美術館が町に普通にあり、そこを普通の人たちが来館している。なんだか、アメリカを舐めちゃいけねえなぁ、と思わされた。刺青を入れたタンクトップのにいちゃんが、カノジョを連れて絵画の前に佇んでいる。
この広大な敷地を持つ美術館は、入館料がなんと無料なのである。しかし、アメリカのカッコいいところは、正確には無料ではなく、寄付で成り立っているところだ。日本人は文化・教養程度が劣化し続けているから、タダとなればなんぼでも居座ったり、もらえるもんなら何でももらっていったりという人間が増えている(まぁ、おそらくアメリカもそうだが)。
入館無料の美術館にも、警備員がいて、受付がいて、清掃員がいて、庭師がいて、もちろん企画運営をするスタッフがいることくらいは想像力を働かせなくてはいけない。
出入り口のところに寄付金箱があり、まぁこれはあまりカッコよくはないが、「推奨する金額」までが書いてある。そこに推奨通りの金額の紙幣を入れて、美術館を後にする。
近くのカントリークラブ・プラザという、アメリカ最古のショッピングセンターを見物。姉妹都市であるスペインのセビーリャの町並みを模したという、レンガを基調とした落ち着いた建物の数々。この日は本当にスペインのように日差しが眩しく(行ったことはないが……)、空の青さにレンガの赤がよく映えていた。
いわゆるショッピングセンターというイメージではなく、ブランドショップの集まった地区といった感じ。停められている自動車も高級車が多いし、金持ちの証である日焼けしたマダムがショッピングバッグを下げて歩いていたりする。世界同時不況と言いつつも、それでも世界は回っている。お金は動いている。
そこでランチを済ませて、この日の目的地であるセントルイスに向けて出発。
神市は、よっぽどカンザスシティが気に入ったのか、車内でも上機嫌だった。曰く、
  • 「いい美術館がある町は、いい町に決まっている」
  • ミズーリ州の、ミ・ズー・リという英語っぽくない発音がそもそもオシャレだ」
わかるようなわからんような解説だが、本人が満足なのだからいいではないか。ちなみに、ブラッド・ピットミズーリ育ちだ。出生地こそオクラホマ州だが、すぐにミズーリ州に移り、ミズーリ大学を中退しているそうな。
ミズーリ州の西端にカンザスシティがあり、東端にセントルイスがある。またもや州のぶち抜き横断だ。考えてみれば、贅沢な州で、前者にはカンザスシティ・ロイヤルズというメジャーリーグ球団があり、後者にはセントルイス・カージナルスという球団がある。
セントルイスに近づくと、ゲートウェイアーチという建造物が見えてくる。ミシシッピ河畔に立つ、高さおよそ一九〇メートルのアーチ。セントルイスの街のシンボルだ。ひとまずハイウェイを降りて、そこを目指す。
都会の一般道はややこしくて何度も道を間違えつつ、なんとか到着。ゲートウェイアーチは中に入れる構造になっていて、上は展望台だ。入場料を払って、エレベーターで上がって行く。エレベーターといっても、アーチ型のタワーを上って行くので形状は特殊だ。
五人乗りの小さなカプセルのような車両がいくつか連なっていて、客はグループ分けされてそれぞれのカプセルに入る。ちょっとしたアトラクション気分を味わえる。
僕と神市は母親と娘二人の家族と乗り合わせた。アメリカらしいな、と思ったのは、母親がすぐに自己紹介してきたことだ。日本ではまずないだろうし、僕もしないだろう。上の娘を大学に送り届けた帰り道だとのこと。そうか、八月の後半なら学生が長い夏休みを終えて、キャンパスに戻る時節だ。僕らも、シアトルから車で旅している途中だと説明する。そうすると、シアトル出身のアジア人だと思われるので、「あ、元々は日本から来てるんだけど」と付け加える。外国訛りのアメリカ人など珍しくないので、言わないと外国人と分かってもらえないのもアメリカ的だ。
てっぺんに着くと、小さな窓がいくつかあって下を見下ろせるようになっている。アーチはミシシッピ河の河畔に立っているため、東側には静謐を湛えたミシシッピ河の川面が、西側には西陽を背に受けて霞むセントルイスダウンタウンが見渡せる。
それにしても、覗き窓は斜面となっている壁についているため、覗き込むためにはその壁にもたれなくてはいけない。これは結構怖い姿勢だ。
「アーチが今倒れたら、僕はミシシッピ河の向こう側に落ちるかな……」などと自分で想像して、縮み上がる。高所恐怖症の神市と、早々に退散。
宿はドゥルリー・プラザというアーチからすぐそばのホテルに決めた。巨体の黒人男性がロビーの係として立っていて、陽気に話しかけてくる。
「ヨォ、メーン、ワツァップ。ハウヨドゥーイン?」
ってな感じ。日本から来ていて、シアトルから車で旅していることを再び自己紹介。レストランの場所を聞いて、去り際に野球のグラブみたいなデッカイ手と握手。とても親切で、好感の持てる対応だった。澄まして慇懃を装うことだけがサービスではない。
往路の飛行機の中ではサービス精神の欠片もないキャビンアテンダントにイライラしたものだが、ここではアメリカ流のホスピタリティに触れて非常に気持ちが良かった。ホテル自体も合理的にできていて、快適そのもの。立体駐車場が隣りにあって、ホテル棟とのアクセスも問題なし。洗濯機が夜中でも使えて便利。ジムも開いていて、黒人のおにいさんがタオルを持って入ったいった(僕はそんな元気なし)。朝起きたら、領収書がドアの下から滑り込ませてあって、追加料金がない場合はそのままフロントに寄らずに立ち去ることができる。カードキーはそのまま部屋に残しておけばいい。部屋もこの旅で一番立派で、寛げるものだった。
皆様、セントルイスダウンタウンにお泊りの際は、ドゥルリー・プラザ・ホテルへどうぞ。
旅も中盤を迎え、そろそろ日本食が恋しくなっていた。でも、僕は外国に来て日本食を食べるのは好きではない。よくうちのおかんを含め、おばちゃんが煎餅とかインスタントの味噌汁を持参して海外に出かけたりするが、あれは美的感覚が許さない。外国に行ったら、文句を言わずにその国のものを食べるのが信条である。
しかし、日本を発って六日目。実は、麺類に飢えていた。アメリカでは、基本的にフーフーしないと口にできないような料理はないと考えていい。
ここはひとつ、中華だ。そう思って、先ほど黒人の彼に場所を聞いていた。
ところが、行ってみると閉店時間になってしまって、ちょうど店員が閉店準備を始めるところだった。仕方なく、数ブロック離れたところにあるイタリアンのレストランバーに入る。ここが思いの外よかった。
「地元のビールを」と頼むと、バドワイザーだった。バドは、セントルイスに本社があるのだ。これは飲まなくては。
それがアメリカの方法なのか、ほとんど泡を入れずに、グラス一杯まで黄金色のバドワイザーが注がれてたゆたっている。唇をもっていって喉へ流し込むと、歓んでいるのは喉ではない。胃でもない。脳だ。アイスコールドの刺激に顔を歪める。呻き声が漏れる。
それは、記憶に残るビールだった。
パスタもピザもおいしかった。大きさをよくわからずに注文したピザは、マンホールのように感じられた。それでも、二人で平らげた。フーフーしながら。
翌日はいよいよ、親友のロブの待つケンタッキーへ。
(つづく)

「六〇〇マイルって言われてもわかんないよ(サウスダコタ篇)」

モンタナを眠ったまま出て、ワイオミング州へ。モンタナ州が「リバー・ランズ・スルー・イット」なら、ワイオミング州は男と男の、いや人間と人間の永遠の愛に心が痺れさせられる「ブロークバック・マウンテン」に描かれた土地だ。
これがまた強烈な場所。なんーにも、ない。なんにもないのレベルが半端ではないのだ。前も後も地平線で、木々や山々もない乾いた草原が広がっていて、見たこともない大きな空に、見たこともない量の雲が敷き詰められている。
視界の下から三分の一あたりに水平に地平線を引き、上が空で下が地面。そんなシンプルな世界を猛スピードで真っ直ぐに走っていると、「空に向かって落下していっているような」錯覚に陥ってゾッとする。
下り坂では、その落下感が益々強く感じられ、登りでは「この坂の向こうに道がなかったら」という想像を掻き立てられ慄然とする。おそらく太古より何も変わっていない原野。ハイウェイ以外の人工物は視界にない。神様が作ったまんまの荒涼とした平原。本当に神様がいつ降りて来てもおかしくないような、神に近そうな場所。神も降りて来られるし、なんならUFOだって降りてき放題だろう。
東へと走る僕らの背後には、雲の隙間から夕焼けが覗き始めた。次のジレットという町に泊まるとしよう。ジレットを逃したら、しばらく町はない。
ところが、ジレットを逃すどころか、辿り着けるのかというガソリンの残量になっていた。途中の適当な地点で補給できるような所はなかったようだし、僕が寝ていた間にも相棒の神市(仮名)の運転でかなりの距離を走っていたようだ。
こんなところで、陽が沈んでガス欠になり、立ち往生なんてしたらたまらない。助けを呼ぶにしても、何の目印もないのに自分たちの居場所を英語で説明することすら難しいだろう。それだけは避けたい。
ここからは運転を僕に代わり、なるべく一定の抑えめのスピードで、エコドライブを心がけた。真剣な表情、祈るような気持ちで、もどかしい一本道を進んでいく。登り道が来ると舌打ちしてしまう。底に届きそうなガスメーターは、また一ミリほど減ったように見える。
陽は完全に落ちてしまった。
予め、夜は走らないと二人で決めていたのだが、やむを得ない。急いでアクセルを踏むわけにもいかない。ジレットまでは実際のマイル以上に遠く感じられた。
やっと遠くの空に町の明かりらしきものが浮かび上がり、安堵する。ジレットだ。いくつかある出口のうち、初めの出口で早々に降り、何はともあれガソリンを満たす。自分すらも、渇いたノドに水を流し込んだような満たされた気分になった。
この晩は、この旅で初めて、ウェイトレスがオーダーを訊きにくるようなファミリーレストランでゆっくりと食事をした。
モーテルは普通のデイズインにもかかわらず、百ドルを越えた。しかし、町がここしかないのだから仕方ないだろう。遊園地の中の缶ドリンクが高いのと理屈は同じだ。
モンタナ州へレナから、走行距離は六〇四マイル(九六六キロ)。
次の日はサウスダコタ州のマウント・ラシュモアを訪れる予定。四人の大統領の顔が岩に刻まれた、有名な観光地だ。なのに、朝から雨。ちょっと残念だが、例日通り七時頃に出発。
マウント・ラシュモアに行く前に、サウスダコタ州に入ってすぐにあるスピアフィッシュという町で寄り道に入る。ここには、スピアフィッシュ・キャニオンという峡谷があり、そこを通る「scenic byway」があるという。「景色の良い横道」という意味になるが、モンタナで通ったベアトゥース(シニック)バイウェイですっかり味を占め、近くにシニックバイウェイがあると知って、そこを通らない手はない。
スピアフィッシュ・キャニオンは、片側一車線の道路の両側に切り立った崖が屹立していて、ちょっとしたアドベンチャー気分が味わえた。僕らにとっては残念な雨でも、木々にとっては慈雨なのだろう。緑が雨に濡れ、笑っているように輝いている。途中に滝があったり、岩があったり、キャンピングエリアがあったり、ウネウネとカーブを曲がる毎に目を楽しませてくれる。
途中のリードという町で郵便局を見つけ、家族や友人に絵葉書を送った。局員のおばちゃんが着ていたTシャツに神市が興味を持ち、欲しいと言う。紺地で、確か胸に「シンプルに、郵送しましょう」みたいなコピーがあって、かわいらしい(日本でいう)ゆうパックの箱がプリントされていた。
  • 「そのTシャツは売っていないのですか?」
  • と訊いてみると、そんなこと言われたことないのであろうおばちゃんは、
  • 「え? このTシャツのこと? これ? これが欲しいの?」
  • と驚いた様子。奥の同僚に大声で確かめてくれる。
  • 「グレッグ! ねえ、このTシャツは売ってるのー!?」
  • 姿の見えないグレッグの声が返ってくる。
  • 「ノー、ウィードント!」
そっか、残念。郵便局のおばちゃんがかわいいTシャツを着て働いているということ自体が僕らには新鮮である。いいじゃん、それで。
雨が降り続く中、田舎道を走り続けると、マウント・ラシュモアへの表示案内が出てくる。観光地らしく、ちょっとした町があり、土産物店とかレストランが並んでいる。どこも古き良き時代の雰囲気を模した造りになっていて、観光地特有のチャチさはあるものの、それはそれで楽しめる。
マウント・ラシュモアは山の上に位置しているようで、広い山道を登った先にある。入場に七ドル払って、駐車場に車を止める。レインウェアを羽織って外に出ると、奇跡的に、今までずっと降っていた雨が止んでいる。空も紺碧の清々しさを取り戻しているではないか。そんな好運もあって、気分が高揚してしまった。
岩の中から遠くを見つめるプレジデンツにカメラを向け、何枚も写す。雨が乾き切っていないため、涙のような筋が顔に走っている。
神市が見知らぬアメリカ人に、話しかけている。
「あの四人は誰ですか?」と尋ねると、そんなことも知らんで来たのか、とでも言いたそうな、不思議そうな顔で教えてくれたそうだ。
ワシントン、ジェファソン、ルーズベルトリンカーン
日本でなら、誰と誰の顔を彫ったらいいのだろう。候補者は、聖徳太子源頼朝徳川家康勝海舟、もしくは坂本龍馬伊藤博文吉田茂あたりだろうか。なんにせよ、歴史が長過ぎて、統一感がないし、チョンマゲは強度的に問題があるし、何よりも、誰を選んでも反対意見が噴出しそうな複雑怪奇な国だ。
アメリカみたいな単純さ、明快な愛国心というのは、ある意味羨ましい。
昼食には、麓の町でバッファローの肉を喰った。噛み応えのある肉だが、想像したほどの臭みはない。ただし、神市曰く、「その後数日は体臭が違った」とのこと。ほんまか。
マウント・ラシュモア以降のサウスダコタは、もう拷問のようなドライブ。地図で見てもうんざりするほどの、真っ直ぐなハイウェイ。
砂丘のない鳥取県、琵琶湖のない滋賀県を想像してほしい。そして、面積はその何倍もデカいのだ。失礼だが、観光資源としてマウント・ラシュモアに頼りきりの州である。
観光案内所にも、パンフにもラシュモアだらけ。
運転を神市に任せて、再び寝る。振り返ってみると、このあたりの僕は、神市もアメリカでの運転に何の問題もないと知るや、結構任せたままでいた気がする。
ふと目が覚めると、豪雨に打たれた車体がバシバシ鳴っていて、前方の視界すらほとんどない。寝起きの僕は、
「神市、停めろ、停めろ!」
とパニックになった。でも、神市はすでにレストエリアに入っていたところで、ひどい驟雨の中、独りで奮闘していたようだ。
休憩していると雨は止み、空は急に晴れ出した。もしかして……、と期待して待っていると、やはりそうだ。虹が出た! しかも、見事なアーチ。遮蔽物がないから、始まりから終わりまでの全貌が見える。でも、大きすぎてどれほど下がってもカメラには収まり切らなかった。
やがて、アーチが二重になった。
退屈なはずのサウスダコタ州の横断だったが、天気がドライブをエキサイティングなものにしてくれた。神様が虹まで用意して、僕らを歓迎してくれている。そんな風に思えた。
天気はその後も何度か表情を変え、雨の境目まで見ることができた。遠くの空の一部に、ドス黒い雨雲が立ち込めていて、よく見るとそこから雨の筋が斜めに走っているのがわかるのだ。
シオウ・フォールズという町で、ほぼ三日間走ったハイウェイ九〇号を去り、二十九号の南向きに乗り換える。八十マイルほど行った先のシオウ・シティでこの日を終えた。
実は、この三日間のドライブは毎日時刻変更線を越えるため、一時間ずつ「損していく」ことになる。シアトルはパシフィックタイム、モンタナはマウンテンタイム、そしてサウスダコタの途中で、セントラルタイムに入ったのだ。
だから、こちらは夜八時まで走ったつもりでも、実際の時刻は九時になっているのだ。
シオウ・シティでは、到着が遅過ぎて、どこも店が閉まってしまった。仕方なく、僕は買っておいたカップ麺にコーヒーメイカーで湧かした(湧いてない)お湯を注いで食べた。温度が足りないから麺がうまくほぐれない。しかし、これしかないからとにかく食べる。
神市はガススタンドで買ったサンドイッチを。疲れすぎて会話もほとんどない。
モーテルのシャワーの水圧が弱すぎて、爽快さが全くない。僕はだいぶ不機嫌になって、ただベッドに潜った。
この日は走行距離六一八マイル(九八八キロ)。全行程中の最長となった。
(つづく)

「六〇〇マイルって言われてもわかんないよ(モンタナ篇)」

シアトルでは、買い物して、ベースボール観て、レンタカーにも慣れ、ダウンタウンを観光して、楽しく濃密な二日間を過ごした。が、しかし……。
お遊びは終わりだ。灼けたハイウェイが男たちを待っている。ただし、その男たちの一人は色白で、もう一人は最近シミと枝毛を気にしている。
モーテルで翌日からの長いドライブに備えて、地図を確認。確認するまでもなく、インターステイト九〇を、とにかく東へ東へと行くしかないのだが、問題は「どこまで行けるか」だ。すっごくテキトーに、シアトルからケンタッキー州ボウリンググリーンまで五日間と設定したものの、日本を発つ直前にグーグルマップでちゃんと調べたところ、二四二〇マイルと出た。
これを五日で割ると……、いや、ケンタッキーでは友人に会うのに、夜に着いても仕方ない。翌日にはニューヨークに飛ぶのだ。だから、実質、四日で計算しなくてはいけない。
二四二〇÷四=六〇五マイルとなる。
六〇〇マイルって言われてもわかんねえよ!
キロに直せば、九六八キロってことだけど、そんな数字を聞いて感覚的に理解できるわけがない。日本で考えれば、東京から山口県で大体千キロだが、プロでもない限り一日ではまず無理。神戸あたりで一泊したくなる距離だ。
しかし、行かないとケンタッキーで待つ、僕の“ビッグアメリカンブラザー”であるロブに会えなくなる。ロブは以前にも登場している親友だ。行くしかない。
一日目の目標は、モンタナ州ヘレナに設定。
出発地点をシアトルにした理由は先述の通りだが、僕にとってモンタナの地を訪れることは、この旅の目的のひとつなのであった。
モンタナ。おぉ、モンタナ。僕は何年待っただろう。十五年くらいだろうか。
ほとんどマイナーといってもいいこの州に僕が憧憬を抱く理由は、映画「リバー・ランズ・スルー・イット」で描かれた神々しいまでの自然美である。ロバート・レッドフォード監督がモンタナを愛でるように撮った、大地と川の織りなす芸術。観ていない方は是非観てほしい。フライフィッシングがわからなくても、毛嫌いするべきではない。釣りの映画ではなく、家族愛の映画だからだ。そして、若き日のブラッド・ピットの、輝かんばかりの美丈夫っぷり。大自然の美しさに一歩も劣っていない。
この旅行の前に予習として、この映画のDVDを再度観てみたのだが、ラストはまた涙してしまった。
モンタナは、その他のレッドフォード監督作品で言えば「モンタナの風に抱かれて」、ブラッド・ピット主演作で言えば「レジェンド・オブ・フォール」でも舞台となっている。どちらも観る価値のある佳作である。
モンタナと聞いて、「ジョー・モンタナはモンタナ出身なんすかね?」と、わけのわからん質問をする相棒の神市(仮名)には悪いが、僕はそれほどモンタナに強いこだわりを持っていた。ちなみに、ジョー・モンタナペンシルバニア州出身らしい。
しかし、瀬戸朝香は瀬戸の出身だ。
「リバー・ランズ・スルー・イット」に出てくるミズーラという町を通過して、ヘレナまで辿り着ければ上出来だ。何もない町なのだろうが、その何もなさを見に行きたい。
起床は五時半。六時にモーテルで朝食をとり、七時前に出発。ブルーのトヨタハイランダーに荷物を積み込み、シアトルの街から、すぐにインターステイト九〇に乗る。そして、朝もやに煙るワシントン州を横断すべくひた走る。
八月の半ばではあるが、日本のような蒸し暑さはない。むしろ、朝晩は肌寒くなるので、薄いジャケットを一枚羽織るくらいで丁度いい。ただし、日差しは強いのでサングラスと日焼け止めは必需品だ。
ワシントン州の景色は、乾いていた。黄土色の土にところどころ低木が見られるゴツゴツした丘陵地帯。途中、車の風防ガラスがパシパシと音を立てるので雨でも降り出したかと思ったら、そうではない。虫なのだ。時速七十マイル以上(およそ一二〇キロ)で走る車体に、蚊や蜂などあらゆる羽虫がぶつかり潰れる音なのだ。クリアだったガラスが白い染みや黄色い汚れでどんどん濁っていく。
およそ一五〇マイル(二四〇キロ)くらい走ったあたりで、早めの給油をする。あまりに周りに何もなくて、次のガソリンスタンドがいつ来るか心配になるのだ。
このドライブのために二人の共有の財布をつくり、毎日それぞれが五十ドルずつ入れるようにした。ガソリンや飲み物なんかは、そこから出すことにして、事後清算の手間を省いた。スタンドでは、僕が給油と支払いを、神市(仮名)が備え付けてあるT字の道具を使って虫で汚れた風防ガラスを掃除する役割が自然と生まれた。その後の四日間ずっとその作業分担で進んでいった。
スタンドの目の前には、大きな河が悠々とのたくっている。空と全く同じ深い碧色の水面が、ペタッと貼り付けられたように静かに光を反射している。地図で確認するとコロンビア河というらしい。その河を写した写真が、今回の旅で最も出来映えのいい一枚となった。
次のレストエリアで休憩をすると、無料のコーヒーとクッキーをいただいた。ブースの中にいる、係のおねえさんに礼を言い、置いてある寄付金箱にお金を入れる。疲れた神経を覚ますような温かいコーヒーは格別の味わいだった。こういうボランティア精神と寄付の心というのは、いかにもアメリカらしい。
僕が数時間運転したので、運転を神市に交代する。アメリカでの初めての運転で怖かったかもしれないが、すぐに慣れたようだ。スピードにさえ適応すれば、信号のないハイウェイの方が簡単なはずだ。
昼食のために、途中のスポケインという善良そのもののような小さな町で、一旦ハイウェイを下りた。市街地での運転の方が神市は戸惑った様子だった。それでも、なんとかメキシカン料理のファストフード店に車を留めて一休みすることに。
そこは注文してから待つと、名前を呼ばれるシステムらしく、名前を訊かれた。僕は「トヨタ」と答えた。
日本人の名前はアメリカ人には発音しにくい。だから、最も有名な日本名であるトヨタの名前を拝借したのだ。これは、誰かの本に書いてあった、外国での煩わしさを回避するためのちょっとした知恵だ。
神市は「スズキ」と名乗った。すると、店員のおばちゃんには大受けだった。彼女は腹を抱えて笑い、次のお客に
「この人たち、こっちがトヨタで、こっちがスズキだなんて言うのよ!」
などと伝えている。スポケインの町の善良な方々に喜んでいただいて、僕もうれしい気分だ。確かに、日本の店に白人男性が二人でやって来て、
「俺がハーレーで、こっちがデイビッドソンだ」
とか言ったら笑えるかも。できれば革ジャン、バンダナ姿でいてほしいものだ。
絆創膏だらけで、
「俺はジョンソン。こいつもジョンソンだ」
というのもいい。
スポケインの町ではよく人にジロジロ見られた。こんな北西部の田舎町ではアジア人はまだ珍しいのだろう。そういえば、黒人すらも全く見かけない。
運動不足を解消するためにアメフトのボールを買って、レストエリアで遊ぶことにしたが、ボールを売っている店が見つからない。ウォルマートがあればいいのだが、町をくるっと廻っても見つけられず、先を急ぐことにした。
少しだけアイダホ州を通り、いよいよモンタナ州へ突入。いや〜、僕の人生でアイダホなんて来るとは思わなかったよ。
このあたりに来るとロッキー山脈に近くなり、緑に色づいた山々が周りを囲むようになってくる。針葉樹林が空に向かって突き立ち、ハイウェイに沿うように渓流が這っている。想像通りのモンタナだ。
僕は一瞬も逃さないように景色を見つめていたかったのだが、その頃から急激に睡魔に襲われてしまった。時差ボケも抜けきれていなかったのかもしれないが、高速運転というのは神経を酷使するため、思いのほか疲労してしまうみたいだ。
ミズーラでもフットボールは見つけられず、八時くらいだろうか、日が暮れる頃になってようやく今日の目的地であるヘレナに入った。僕らが入ってきたところは町のはずれにあたる地区のようでみすぼらしいカジノばかりだった。日本でいうパチンコ屋といったところか。確かに、「リバー・ランズ・スルー・イット」の中で、ブラッド・ピットはギャンブルで借金を作り、トラブルに巻き込まれるのだったけれど。
ややがっかりしてさらに進んでいくと、やがて人の生活が感じられる町らしくなってきた。キリスト教の大聖堂が丘の上に見える。とりあえずは、そこまで行ってみて、夕陽に照らされた大聖堂を写真に収めて、観光した気になる。
二人とも意識が遠のきそうなほど疲弊していたが、自らに鞭打ってどうにか明日のためにガソリンを満たし、ようやくこの町でフットボールを手に入れ、バーガーキングで夕食を買って、モーテルにチェックインする。レストエリアで手に入れたクーポンを使って一泊五十九ドル。素晴らしい。部屋に冷蔵庫がないこと以外は何も問題なし。
シャワーを浴びて、明日の予定を確認して、気絶するように眠りに落ちた。
翌日はイエローストーン国立公園へ向かう。リビングストンでハイウェイを降りて、一般道へ。
アメリカの道路でよく見かけるものに、バーストしたタイヤの残骸と小動物の死骸がある。この道でもやたらと死骸を見かけた。車内になんだか匂いがすることがあり、初めはなんだかわからなかった。古い脂のような、生臭いような匂いだ。しかし、何度か嗅ぐうちに、動物の骸を通り過ぎて数秒後にそれが漂ってくることに気付いた。
  • 「神市、これってまさか……」
  • 「そうですね。気付きました?」
初めて嗅いだ屍の匂いだ。気分が悪いが、美しい景色の傍らには、決して無臭ではない自然の厳しさが存在しているということだ。
イエローストーン国立公園への入園には、自動車一台二十五ドルの入園料を支払う。これより先は山と水と植物と動物の支配する世界であって、人間はあくまでも入らせていただくだけの存在でしかない。
僕らは何十マイルかは走ったが、広大な公園の角ッコを舐めたに過ぎない。アメリカ人たちは、でっかいキャンピングカーやピックアップトラックに牽引させたトレーラーハウスで奥へと入っていく。おそらく公園内で何日もの間、キャンプしながら暮らすのだろう。我々のようなせせこましい生活をしている民族からすれば、人生観も変わるような体験だろう。
渓流に向かって竿を振るフライフィッシャーたちが見える。バッファローが一匹、うなだれながら歩んでいくのが見える。淡い緑の草に覆われた平原がどこまでも見える。遠くの斜面に馬の群れが見える。次から次に違う表情を見せる自然保護地域の細い道を静かに走る。ただただ走る。穏やかだ。
公園を出た後は、ベアトゥースバイウェイという道に入って、この日のハイライトを迎えた。この道は、CBSのチャールズ・クロウルトという記者が「アメリカで最も美しい道」と賞賛した道なのだ。美しさとかおいしさとかおもしろさを数値化して順位付けするのは本来は嫌いなのだが、理屈っぽいこと言うてる場合ではない。
おっさんが最も美しいと言うなら、最も美しい道として感受しようではないか。
ただし、残念なことに、僕にはここで見た壮麗な景観を言葉で表わせるだけの技量がない。だから、お伝えすることはできない。ただ言えることは、湖があって、雪が残る山があって、起伏のある草原があって、柔らかく光を通す雲があって、冷たい風が吹いていて、そんな中をうねって走る一本の道があった、ということ。
山の斜面を削って作られた、漫画のような崖道のカーブでは、高所恐怖症の神市が悲鳴を上げていた。漫画のようだし、車のCMのようだ。そんな陳腐な表現しか出て来ない……。
色んなものを見すぎて、この後、ハイウェイ九〇に戻ってしばらくすると、僕はまた助手席で眠りに落ちてしまった。憧れていたモンタナを去るにあたり、神市には「モンタナが終わる頃には声かけて」と頼んでいた。それにもかかわらず、いざ神市が州境で「モンタナ終わりますよ」と起こしてくれても、
「ん」
と声を発しただけで、すぐに眠りに戻ったらしい……。
神市は腹の中で「なんやねん」とツッコんだことだろう。
(つづく)

「六〇〇マイルって言われてもわかんないよ(シアトル篇)」

敗戦記念日の八月十五日。僕はやや複雑な気持ちで機上の人となった。向かうは米国のシアトルである。
後輩の神市くん(仮名)と一年越しの計画であったアメリカ横断の旅を遂行するべく、アメリカ合衆国の北西に位置するワシントン州シアトルへ向かったのである。スターバックスマリナーズトム・ハンクスメグ・ライアン主演の映画「めぐり逢えたら」の舞台として有名な都市である。
そこから、レンタカーで東へ進み、アイダホ、モンタナ、サウスダコタアイオワミズーリイリノイインディアナ、ケンタッキーといくつもの州を通過していく、気が遠くなるほどのドライブを敢行。ケンタッキーで友人のロブらと会い、テネシー州ナッシュビルから国内線でニューヨークシティに入り弟と会う、という壮大な計画である。
盛り上がりもオチもないダラダラした旅行記となりますが、順を追って書いていきます。ほとんど自分の記録のためのような記述になりますが、ご自分が旅した気分になって読み進んでいただければと思います。
  • 【シアトル】
ノースウェスト航空で飛んだのだが、機内ではとにかくアメリカ人のキャビンアテンダントの態度の悪さにイライラする。いや、当人はふてくされているわけでも、勤労意欲に欠けているわけでもない。これは単に日本人とアメリカ人のサービスに対する解釈の違いでしかないのであろう。
一言で言ってガサツなのだ。通路一杯のお尻が、通る度に僕の腕に当たる。僕はごく普通の姿勢で肘掛けに腕を置いているだけなのだが、いちいちぶつかる。後方のトイレに行こうとしたところ、おばちゃんCAがちょうど飲み物のカートを押してバックヤードから出てくるところだった。少し戻れば済むことなので、僕は彼女がバックするものと当然思っていたら、手で「お前が下がれ」と合図してくる。カチンと来たので「ハァン?」と露骨に睨みつけてやると全く怯む様子もなく、前方のトイレと使えと指示してくる。自分のカートを下げるよりも、僕が下がって前方のトイレに行く方が「It's easier.」とのことだが、それは誰にとっての「easier(楽チン)」だというのか。
トレイとポットを持って「コーヒー? コーヒー?」と来た際にも、僕の隣の客に出すために、僕の鼻先にトレイを差し出してコーヒーを注ぐ。無神経な。
しかし、おそらく、そもそもの感覚が違うので、僕が怒って指摘したところで、このアジア人は何がそんなに不満なのかと、全くピンと来ないのだろうな。逆に「ハァン?」と、お前アタマおかしいんじゃねえのくらいの反応をされるのがオチだ。僕はあの、アメリカ人の「ハァン?」攻撃が大嫌いだ。
せっかくの旅で怒っていても仕方ないので、なるべく心穏やかに過ごせるよう、読んでいた小説に没頭する。
そんなこんなで着陸すると、今度は入国審査で延々一時間並ばされた。ここでも、心穏やかにと念じつつひたすら寡黙なアジア人に徹する。何度経験しても、あの、人を犯罪者扱いで睨めつける審査官には慣れることがない。
やっと入国すると、シアトルは朝の十時頃。こちとらほぼ徹夜でクラクラしているが、シアトルではこれから一日が始まるのだ。それでも体が思ったより楽なのは、シアトルが日本から最も近い九時間のフライトで行ける場所だからだろうか。
レンタカーのカウンターで、予約通り車両を確保できているのか、ドキドキしながら予約確認書を差し出す。僕は日本で様々なサイトをあたった末、トラベルジグソウというサイトで予約した。希望の日や借りる場所と返す場所を入力すると、各レンタカー会社の概算費用が一覧で表示されるサイトだ。
中でも、ナショナル社が飛び抜けて安かったのでカードで既に支払いも済ませてあったのだが、本社は英国のサイトだったし、なんだか不安なのである。「そんなの聞いてない」とか平気で言われそうで……。
ところが、緑色の制服を着たおばちゃんは何の問題もなく「オーケー、オーケー」とパソコンに何やら打ち込んでいる。
「へー、あんた、テネシーまで行くの?」
と、返却場所を聞いて驚いている。
「カントリー歌手にでもなりに行くの?」
だそうだ。テネシー州ナッシュビルカントリーミュージックのメッカで、またの名を「ミュージックシティUSA」という。
借りた車はトヨタハイランダー。日本ではクルーガーという名称で販売されているらしい四駆車だ。おばちゃんが、
「Big enough?(大きさは充分?)」
と訊いてくる。やはりこの国では大きいことは良いことなのだ。
駐車場内の指示された場所まで行って、車を受け取る。これからお世話になる車と対面して、もちろん、サイズは問題ない。というか、デカイ……。
係員の黒人のおにいちゃんが「なんでまたシアトルに?」と尋ねてくる。日本人も多いはずだが、まぁ彼らからすれば、どうして日本人がわざわざLAでもなくシアトルに旅行に来るのかが不思議なのだろう。
説明も面倒なので、「イチローの試合観戦だよ」と答える。おそらく、黒人層は圧倒的にバスケ支持だから、野球の知識は少ないのではないだろうか。「ふ〜ん、そう」とのこと。
右側走行のアメリカで、慣れない大型車。空港を出ると、いきなりハイウェイだから注意が必要だ。はじめはかなり緊張しながらの運転だったが、シアトルのビル群が見えてくると、これまでの不快なあれこれが吹き飛んで、気分が一気に昂揚した。
「サイコーだな!」
車内で一人雄叫びを上げる。
アメリカ横断といえば、有名なのはルート66というLA→シカゴを結ぶ道路である。でも、僕が出発地にシアトルを選んだのには、理由が二つある。
アウトドアとイチロー
シアトルは、マウントレーニアに代表される豊かな自然と美しい湾に周囲を囲まれ、アウトドアが盛んな土地なのである。それに、アメリカ北西部には、ゴールドラッシュを背景に、労働者用のタフでカッコいい本物のワークウェアブランドやツールメーカーがいくつもある。
そのひとつがフィルソン。
日本ではゴールドウィン社が販売代理店をしていて、値段が本国の倍くらいする上に扱う商品が限られている。だから僕にとっては、シアトルのフィルソン本店に行くことはここ数年の念願となっていた。
僕はこの旅にもあえてスーツケースではなく、フィルソンのダッフルバッグで来ていた。どうせ自動車でのロードトリップがメインなので持ち歩く距離など知れている。
ついでに、フィルソンの帽子までかぶって来ていた。
イチローは言わずもがな。マリナーズの観戦チケットは、これまたウェブサイトで予約していた。
ちょっと値の張る席でもいいと思っていたのだが、その日は対戦相手がヤンキースで人気のカードだったためか、ほとんどが売り切れ。一人三〇ドル程度の三階席しか確保できなかった。
ハイウェイ五号を下りると、いきなりマリナーズのセーフコフィールド脇を通り、フィルソンのショップに到着。あまりのスムーズさにこちらが驚いた。
デッカイ車を頭から駐車場に突っ込む。アメリカ人は、ほとんどの場合、わざわざバックから駐車するようなことはしない。
フィルソン店内は僕にとってはディズニーランドであった。ニヤニヤを抑えられない。当然フィルソン一色で、ほぼ全てのアイテム、サイズが揃っている。ただし、サイズはどれも大きい。スモールでさえデカイ……。
防水のためオイルフィニッシュされたゴワゴワのコートや、ハンティング用のウールジャケットなどが陳列されている。店の奥はファクトリーになっていて、平日なら製造作業現場が見られるらしい。店内にはオイルの匂いが漂い、これらをファッションとしてではなく、作業着として使うのであろう数人の男たちが通路に巨躯を捻じ込んで品を吟味している。
その中で僕はウールのヴェストを購入。日本より、試着してみて合えば買うつもりだったアイテム。シアトルに到着して、ものの三時間でこの旅の買い物は終了。もうこの他に買いたいものは、お土産以外にはない。
会計の際、店員さんに、僕がどれだけこの場所を訪れてみたかったか、日本から空港に着陸して真っ直ぐここにやってきたことなどを伝えると、「そうかそうか、そんなに好きなら……」と、百周年の時の記念ステッカーの残り物をくれた。こういうフランクさがアメリカの美点だ。ありがとう。
もう一軒、REIという有名なアウトドア店に寄って、トレッキング仲間にお土産を買った。とりあえずこれで、行きたい場所には行ったことになり、宿に向かう。
ダウンタウンのはずれにあるベストウェスタンロイヤルインがシアトルでの宿だ。これも日本で入念に事前リサーチした。色んな人が、過去に泊まったホテルのインプレッションを書き込んでいるアメリカのサイトを読んだが、まぁモーテルなので大した評価は得ていない。
スタッフの態度がどうだった、伝言が伝わってなかった、ベッドが柔らか過ぎた、駐車にお金がかかるのはいかがなものか、街から離れていて周りに何も無い、などなど。
しかし、泊まってみてわかったことだが、アメリカ人ってのは、文句が多い! とにかく主張する民族性だから、要求だけは厳しい。せやったら、お前は自分の職業に対して、それだけ完璧に従事しているのか? といえばおそらくそんなことはない。でも、人に対しては言いたいこと言う。
僕は大きな不満は感じなかった。明日、後輩の神市(仮名)が合流するから、今夜は一人だけど明日には男二人になる。だから、ダブルベッドひとつでは困るのだが、部屋に荷物を置いてからそれに気付いた。また重いカバンを運んでフロントまで戻って、「えーとですね……」と、このちょっとややこしい状況を説明する。
すると、「今夜はベッド二つの部屋がないから、明日新しい部屋を用意させてほしい」という。僕としては、明日また荷物をまとめなくてはいけないのが面倒になるが、ここはひとつオトナになって「OK。ノープロブレム」と笑顔を見せる。アメリカ人ならゴネたりするのだろうか。まぁ、大きなことではない。
その日は、興奮と疲労で、日暮れを待たずに眠ってしまった。早朝に目覚めたので、散歩に出かけた。カメラを手に、騒々しくなる前にシアトルの日曜日の朝を撮る。道中、物乞いに二度お金をせがまれた。「孫が三人いるのだが、朝食も与えられない」と懇願する老婆。あんまり必死なので数ドル恵んでやることにした。
「小銭ないか。朝食も食べられないんだ」という黒人の若者は、直前までタバコを吸っていたのでお断りした。タバコなど贅沢品だろ。ゴタゴタを回避したければ、もしかしたらポケットには常に数ドル用意しておいてもいいのかもしれない。散歩しただけでお金が減るとは、難儀な国だ。
午前中に、神市を空港で拾い、そのままセーフコフィールドで野球観戦に向かった。東側から見る球場は、鉄骨が美しく組まれた構造で堂々とした威容である。西側にはレンガ調のゲートが構えられていて、神市が「あ、テレビで見たことある」と漏らしていた。予約済みのチケットを窓口で受け取り、センター側より階段を上がると、「ボールゲームへようこそ!」と言わんばかりのパノラマが目の前に広がる。フィールド全体が見渡せるように通路が設計されていて、瞬時に非日常の世界に引き込まれるように作られているのだ。
観客と選手の近さ、最上段からでも臨場感が存分に感じられる角度、開閉式のドームなど、野球の楽しさを充分に理解している人間によって考案されたのであろうアイデアが詰まっている。素晴らしい球場だった。
ホットドッグを食べ、イチローの背中に声援を送り、城島のホームランに立って拍手をし、隣りの見知らぬアメリカ人とハイファイブを決め、相手チームのAロッドにブーイングを浴びせる。正しいメジャーリーグ観戦の仕方を、心から楽しんだ。
「いやー、良かったなぁ」、「最高でしたねー」とお互いに口にしながら球場をあとにする。
初めて訪れたシアトルの街は、僕が知るアメリカのどの街とも違う、落ち着いた気品のようなものが感じられた。それは一部は、山や海や湖といった自然と人間生活の調和からもたらされていると思われる。ボーイング社の工場という軍需産業も持ちながら、アウトドアであり、カフェであり、単なる経済的発展の追求からは一線を画す文化や人生観が底を流れているのだろう。
穏やかな気候も関係しているかもしれない。北海道よりも北の緯度にあっても、温暖な海流によって過ごしやすい気候だという。ちょっと「住んでもいいかも」とすら思えた。仕事何しよっかな。できれば日本人社会に頼らずアメリカに溶け込んで、なるべく自然に近い場所で、願わくばアップスもダウンズも少ない暮らしを送ってみたいものだ。と、「何言ってんのよ」という妻の声が聞こえてきそうな夢想をしてみる。夢想だけならお金の計算もいらないし。
とはいえ、翌日からはアップもダウンもありそうなロングドライブに出発する。毎日六〇〇マイル(九〇〇キロ)走破の旅路へ。
以降は次号で。
(つづく)

「いい国つくろうは数字ではない」

うちの妻の勤務先は、猥雑な大阪の中でも最も賑やかな界隈に接している。通りに車がしばらく停まっているから、妻が気にしていると、頭髪を「盛った」ギャルがビルから出て来た。車は女性を後部座席に乗せて走り去ったとのこと。
そして、会社から少し離れたいわゆるホテル街のそばでも同じ車を見かけたという。
妻曰く、
「デリヘルちゃうかな。ああいうの信じられへんわ。若いのになんでああいう職業を選ぶのか、全く理解できへん」
僕が賛意を示して言う。
「そうだな。目の前にかわいいコがいて、**してくれると云うのならやぶさかではないが、誰か分からんのに電話して呼ぶというのは、確かに理解できへんな、うん」
思ったままを答えたつもりだったのだが、どうやらポイントがズレていたようだ。完全に無視をされた。
**という「目的」が理解できない、と言っているのであって、その「手段」が何であれ、そこは論点ではないのであった。
「目的」と「手段」、これを混同して論じてしまうことは、我々がしばしば陥りやすい過ちである。注意したいところだ。
最近急成長している中小企業の社長のインタビューをテレビや雑誌といったメディアで目にする際、こんなことを言っていたりする。
「まずは業界ナンバーワンになることが目標です」
そんな企業を応援する気には、僕はならない。
いい製品を世に送り出し、顧客に喜ばれ、社員がそれに喜びを感じ、株価が上がり、株主にも利得が及ぶ。これが企業が本来目指すべき幸せなかたちである。
だから、「業界で最もいい製品を作ることが目標」なら僕も文句はない。大いにがんばってもらいたい。
しかし、業界一位になるかどうかは、いい製品を作って売った結果に付いてくるもので、一位になることを目的にしてどないすんねん、と思うのである。穿った見方をすれば、そこには「最上の製品」という視点が抜け落ちていて、「品質が最高でなくても、売上さえ最高であればいい」という醜い売上至上主義への落とし穴が顔を覗かせる。
政治の世界にも同じことが言え、昨今、自民党の政治家が「国民が今後とも自民党の政治に信任を与えてくれるよう……」とか、民主党の方が「来るべき政権交代に向けて……」などとのたまうが、国民が望むことは一点。
「日本をよりよい国に」
以上、である。
自民党が政権を担当しようが、民主党であろうが、国が良くなるのなら正直どっちゃでもええねん。いや、公明党幸福実現党は、個人的にはカンベン願う。
民主党に「調子に乗るな」と申し上げたいのは、メディアからの追い風を受けて、あたかも政権交代こそが国民の望む「目的」だと履き違えているようだが、別にあなた方でなくたっていいのだ、ということだ。
自民党が愛想を尽かされかけているだけであって、民主党を待望しているわけではない。
そして、今からすでに明白なのは、民主党がもしも政権を握った場合、メディアは一斉に揚げ足とりと些細なスキャンダル探しに躍起になる。メディアの人間が望んでいるのは「いい国」という目的ではなくて、飯のタネになる話題のみだからだ。
だから、熱望されているなどと勘違いをしない方がいいと思う。
民主党ポスターのキャッチコピーが「政権交代」ではいかにおかしいかお分かりになるだろうか。
政権交代」は、国民の求める目的でもなければ、政策でもなければ、ドクトリンでもない。ただ自分らが「一番になりたい!」と声高に主張しているだけの、中小企業のおっさんとなんら変わりのない自己満足ではないか。
どの党に一票投じるかは、あくまで「手段」の選択であって、国がいい方向へ進んでいくことが「目的」であり、人それぞれあるであろう「いい国」の定義を、たっかい手当(税金)もらってる政治家センセイたちが知能の限りを尽くして議論していただければよいのだ。
で、もっと言えば、その結果責任は国民と共有すべきなのだ。投票したのは国民だからだ。今まで自民党に投票してきたような人が政治に文句を言う資格はないと心得なくてはいけない。
我が国が、当時の西ドイツを抜いて経済世界二位になったのは一九六八年だそうだ。そして、早ければ今年中にもGDPで中国に抜かれるという。経済紙はそれを問題視するが、しかし、何が問題だというのか、僕には理解できない。若い女性が、見ず知らずのチ○ポを**してお金をもらうことよりも、よっぽど理解に苦しむ。
順列に意味などない。ここは小さな島国ではないか。GDPとは国内総生産だから、人口が多い国が有利なのは当然で、そんなことで争ってどうなるのか。いっぱい作った(生産した)からといってなんなのだ。それが世界一の幸せなのか。
アメリカ人が幸せかどうか、かなり実態がバレてきたように思う。
上位五%が総資産の三分の一(二〇〇〇年で三五・三%)を独占する社会に庶民の幸せがあるのか。
経済第二位の国でなんかある必要もないし、以前にも言ったが、国連の常任理事国の椅子なんか求めなくていい。お前は自分の銅像を立てたがる田舎者のおっさんか! と言いたい。
大体な、二位なんかにしがみつくくらいなら、むしろ一位を目指さんかい! その方がよっぽど潔い。人口二倍のアメリカに勝てないことにはなんの問題意識もないくせに、人口十倍の中国に追い抜かれることに関しては、無駄に不安を煽る。
人口が減少する中で「総」生産も減っていくのは当然のことで、二位であることにしがみつく理由などないのだ。二位であることはただの結果であって、三位だろうが二十六位だろうが、いい国家たりえることが目的であるはずなのだ。
人口が減少傾向にあるのは、悪いことでもなんでもなく、なんとなく「減ることは良くないこと」と思い込んでいるに過ぎない。これまで多いことは良いこと、増えることはポジティブなことと刷り込まれて、成長妄信主義社会が進展してきた。
「人口減少は経済成長を鈍化させる原因なのではなく、経済成長の結果なのであると思うべきである」(『経済成長という病』平川克美著)
つまり、それは国の成熟の過程で自然な移行であり、アホな政策で人口を増やそうとすることよりも、減っていく中でいかに国を適応させていくかが政治の手腕なのである。
こういう意味もなく数字に拘るような小さい人間が、抱いた女の数なんかを自慢したりする。さらに言語センスのない人間は、女を「喰った」などと表現するが、形状を考えたら、明らかに「喰われている」のはお前の方じゃないか。
あ、今、形状を考えたあなた、イヤラシイ!
(了)